07


 その日はいつもどおり、セレネは仕事に行くシディアンを見送って、天気があまりよくないので洗濯物をどうしようかと考えていた。窓の外のどんよりとした天気を見ながら、セレネは、暖炉の火で乾かそうかな、と思いつく。
 火がついている暖炉の前に洗濯物を並べたところで、扉の前に誰かが立つ気配がした。セレネは、それに反応して耳をぴくりと動かして、じっと外の様子をうかがう。
 やがて、扉がこんこんこんと三度、ノックされた。
 シディアンは、「来客があっても、扉を開けることはない。いないふりをするんだ」と言っていたので、セレネは息を殺して暖炉の前で固まっていた。すると、もう一度ノックされ、今度は声が届いた。
「いるのは分かっているんですよ、お嬢さん」
 びくっと肩が浮く。お嬢さん、とはきっと自分のことだ。間違ってもシディアン目当ての来客じゃない。それに気が付いて、セレネはとりあえず、そばにあったコートを着込んでフードで耳を隠した。
 それから、足音を立てないよう細心の注意を払いながら、扉に近づく。今度は少し乱暴にノックされた。
「お嬢さん、開けてくれないと僕はこの扉を破壊してしまうかもしれない」
 途端、顔から血の気が引いて、真っ青になる。シディアンの家なのに。帰ってきたシディアンが怒るかもしれない。こんなに寒いのに扉が壊れたら、凍えてしまうかもしれない。
 セレネは、そうっとノブに手をやって、くるりと回した。
「……ど、どちらさまですか?」
「やっぱりいたんじゃないですか」
 びくびくと顔をのぞかせたセレネが目にしたのは、背の高い金髪碧眼の美丈夫だった。思わず、はっと息を飲む。きれいな金髪だ。さらさらと触り心地がよさそうで、青い瞳はとても穏やかだ。
「君が、シディアンのところにお世話になっている、遠い親戚さんかな?」
その物腰の柔らかさに、セレネはつい先日シディアンに、「世の中いい人ばかりじゃない」と言われたことも忘れて、いい人そうだ、と思う。親戚ではないがシディアンが人に話す時にはそうなっているのだろうことを察して、セレネはこくこくと頷いた。
「立ち話もなんだし、中に入れていただけると助かる」
「……」
 セレネが渋る様子を見せると、金髪の男は少し眉を上げて微笑んだ。
「シディアンに、誰も入れるなと言われましたか?」
「……はい」
 素直に頷く。男は微笑んだまま、そのかたちのいい唇を開いた。
「たぶん、僕のことは彼も例外的に認めてくれると思います。それに、あなたに迷惑をかけるような事態にはしませんので」
「……」
 セレネは、少し唇を噛んで、それから扉を男が体を滑り込ませられるくらいに大きく開けた。男は、にっこり笑ってつかつかと中に入ってきた。セレネがそのあとを追うと、男が振り返り片膝をついて、戸惑っているままのセレネの片手を取ってその手の甲に口づけた。
「初めまして。僕の名前はヴェルデ。お嬢さんの、お名前は?」
「……セ、セレネ」
「セレネ。いい名前ですね。君にぴったりだ」
 手を取られたまま、セレネはどうしていいか分からず固まった。柔らかい唇の感触に、少し頬が赤くなる。それに気づいたらしいヴェルデは、くすりと笑いその手を解放する。まばたきもせずにじっとヴェルデを見ていると、彼は立ち上がってセレネの肩を抱いてテーブルに導いた。
 セレネはヴェルデと向かい合わせに座って、なんだか居心地の悪い思いをしていた。じっと見つめてくるのだ。シディアンの黒曜石のような凛々しい瞳ではないが、柔和でありながらもどこか鋭いその視線に戸惑って、下を向く。
「セレネは、僕のことをご存知ではない?」
「……知らないです。ごめんなさい」
「いや、謝ることはないですよ。そうか、知らないか」
 独り言のようにヴェルデは呟いた。初対面のはずのヴェルデがなぜそんなことを聞くのか分からなかったが、もしかして有名な人なのかなあ、と思う。口ぶりからして、シディアンを知っているようだし、シディアンの友達なのかもしれない。
「ところで……どうして室内でそんなコートを着ているんですか? 暑くはないですか?」
「……さ、寒かったから」
「……そうですか」
 穏便な瞳が細められる。見透かすようなその視線に、また下を向く。居心地が悪い。シディアンが帰ってきてくれないかな、と思うが、まだ日は高いので、それも見込めない。
 視線を下向かせると、ヴェルデの服がよく見える。シンプルで着心地がよさそうな布地のそれは、シディアンの普段着と同じように見える。ただ、金糸の細かい刺繍が施されていて、きらびやかな感じもする。
「シディアンのお友達ですか?」
 何気なくそう聞けば、ヴェルデは即答せずに少し考えるように視線を天井にめぐらせた。それから、ふん、とため息をついて頷く。
「広義で言えば友達です。そうですね、彼とは友達でいたかった」
「……?」
 こうぎでいえば、の意味がよく分からずに首をかしげてヴェルデを見つめると、ヴェルデはおかしそうに微笑んだ。
「友達ということにしておきましょう。その方が楽しい」
「ほんとうは、お友達じゃないんですか?」
「いいえ、友達ですよ」
 なんだかはぐらかされているのはセレネにも分かったが、どう聞けば望む答えが返ってくるのか、また自分の望む答えというものがどんなものか見当もつかなかったので、それ以上の質問はやめておいた。
「セレネは、シディアンとはどういう縁なのですか?」
「えっと……わかんないです……」
「そう……でも、瞳の色も髪の色も全然違うから、きっとものすごく遠い親戚なのでしょうね」
「……」
 ようやくヴェルデの視線に慣れてきたセレネは、まじまじと彼を観察する。見れば見るほど、綺麗な人だな、と思う。褐色の肌を持つシディアンとは違う白い肌に、すっと通った鼻梁は繊細ながらも力強さを感じさせる。セレネは、自分のまつげが銀色であることをすっかり忘れ、金色のまつげってすごく綺麗だ、と考えていた。
 はたと、ヴェルデがシディアンと親しい仲であることを納得し、ひとつ疑問が浮かんだ。

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