あなたの元へ還りたい
03

『……ルカ、ヒサトに何を言ったんだ』
『別に何も……俺の姿を見たとたん、背を向けて走って逃げてしまって……墓場の階段で足を踏み外したようで……』
『……』

 時期が早すぎた。
 もっと準備をしてから、ルカとヒサトを会わせるつもりだったのだ。そのために、俺はルカより一足先に帰国した。それなのに、このざまだ。情けない。
 ヒサトは、俺といること自体、俺の存在自体いい顔をしなかった。俺を見るたびに、嫌なことを思い出すからだろう。詳しくは知らないがおそらく、このF市の小さな町で代々続く呉服屋の長男として生まれてきたヒサトは、いわれのない軽蔑のまなざしと好奇の視線にさらされたに違いない。
 小さな頃からすでに笑顔を忘れた彼は、俺には想像もできない壮絶な道を歩いてきたのだろう。それを思うと悔しくて仕方ない。もしも俺があの時力のある大人だったなら、彼をその絶望からすくい上げることができたかもしれないのに。

「……ヒナ、今日はもう帰ろう」
「や! 先輩と帰るの!」
「……さっきの医者の話を聞いていただろう、ヒサトが目を覚まさないのは精神的な問題だ」
「でも、一緒に帰るの」
「もしもヒサトが目覚めることを望まないなら、いつになるか分からないんだぞ。明日かもしれないし一年後かもしれない」
「でも、でも」
「でもじゃない。今日はもう遅い。送っていくから、帰るんだ」
「……」

 頬を膨らませてベッドの柵にへばりつき無言で抵抗するヒナを引っぺがして宥めすかし、なんとか助手席に乗せて車を発進させる。
 膨れっ面のままのヒナが、しぶしぶシートベルトをつける。

「明日、また連れて行ってやる」
「ほんと? 嘘じゃない?」
「嘘じゃない。明日は土曜日で休日だろう? 俺もあそこに用事があるし、午前中に迎えに行くよ」
「絶対だよ」
「ああ、絶対だ」

 赤信号で止まると、ヒナが横からにゅっと小指を突き出した。

「何?」
「指切り!」
「ああ、えーと……」
「こう!」

 俺の左手の小指を、ヒナの右手小指と絡ませて、ヒナが何か不思議な歌をうたって指切った、と繋がりをほどいた。
 なんだったっけ、こんなこと昔にも……。

『たくと、どこに行くの』
『イタリアっていう、お母さんの国』
『それ、とおい?』
『うんと遠い』
『もう、僕とはあそべない?』
『今度、遊びに来る。キャッチボールしよう』
『ほんとう? じゃあ、やくそく』

 ああ、そうか。子供の頃に、ヒサトと交わした小さい約束。もしかしてヒサトは覚えていたのかもしれない。
 今度、をずっとずっと待っていたのかもしれない。
 俺は、最低だ。