あなたの元へ還りたい
02

 待ち構えていたように ロビーの椅子から立ち上がった男を見て、思わず怒鳴り散らしたい衝動に駆られる。ヒサトが倒れたのは彼に責任があるわけじゃないが、きっかけになったのだろうことは容易に想像できるからこの憤りは致し方ない。

『ヒサトは?』
『まだ目を覚まさない』

 ヒナの手を握り、ルカの後ろをついていく。きょろきょろしながら時折ルカの背に目をやっては首をかしげる彼女の眉は垂れ下がっていて、よほどヒサトが心配らしい。
 とある病室の前で、ルカが立ち止まる。
 スライド式のドアを開けると、そこには白いベッドに横たえられたヒサトの姿があった。

「先輩!」

 ヒナが駆け寄って身体を揺するが、ヒサトはぴくりとも動かない。白い顔に青ざめた唇は、まるで死人のようだった。

『どうしてこんなことになったんだ』
『俺を見た尚人が、逃げようとして足を滑らせて』
『それで頭を?』
『ああ、軽い脳震盪らしい』

 ルカに詳しい話を聞いていると、くんっと上着の裾を引っ張られた。振り返るとヒナが心配そうに俺とヒサトを交互に見つめる。
 イタリア語で話しているからヒナには意味が分からなくて、不安になったのだろうか。ヒナは、瞳で語るのが上手だ。今だってヒサトの容態を知りたく黒目がちかちかと揺れている。

「軽い脳震盪を起こしたらしい」
「どうして?」
「転んだそうだ」
「ふーん……だったら、すぐ目、覚ますですよね?」
「ああ、そうだな」

 ヒサトが目を覚ましたら一緒に帰る、というヒナに頷いて時計を見る。よその家のお嬢さんを預かっているからには彼女の家に連絡のひとつでも入れたほうがいいだろう。時計は五時を過ぎたところだ。……五時?
 ルカからヒサトが倒れたと連絡を受けたのが、四時前だ。……軽い脳震盪にしては、長い間眠りすぎてはいないか?

「先ぱーい」
「……」
「尚人先ぱーぁい」

 いつになってもヒサトは目を覚まさない。ヒナが彼の頬をつんつんと突いている横で、奇妙に思い担当医に問うと、予想外の答えが返ってきた。

「本人の意思が目覚めを邪魔しているのかもしれません」
「……つまり?」
「……脳波はいたって正常ですし、いつ目覚めてもおかしくない状態なのに」
「それは、ヒサトが目を覚ましたくないと思っているということか?」
「おそらく」

 ベッドに横たわるヒサトが、いつもの倍以上細く見える。
 もし医者の言うとおり彼が目を覚ましたがらないのだとすると、原因はひとつだ。