出会い誤解そして和解
05

「ねえ」
「……!」

 腕を掴むとヒッと喉の奥で悲鳴、それでも視線は重ならない。
 あまりの徹底ぶりに、なんだかちょっとムッとして、頑なに横を向いた彼女の顔を眺めていると、耳に掛けられた短い髪の毛の間から覗く小さな小さな耳殻が目に入った。

「……耳、小さいね」
「あ」

 手を伸ばせば、大げさに身体が震えて逃げを打ったが、俺の指がその耳たぶに触れるほうが早かった。

「あは、柔らかい」
「ねえ先輩!」
「比奈ばっかりずるい!」

 そろそろ背後を無視するのにも限界があるな。そう思いつつ、俺は結局いったいここに何をしに来たのだっけ、と考えていると、教室の入口のほうからこちらにまっすぐに駆けてくる足音に気付いた。それと同時に激痛が走る。

「……死ね!」
「……ぐっ……!」

 思わず膝から崩れ落ちて、ひなちゃんの机に突っ伏す。
 涙目で振り返ると、暴言とともに俺の股間に蹴りを入れたのはやっぱり、梨乃ちゃんだった。

「きゃああ! 梨乃何してんの!?」
「制裁」
「そこまですることなくない!? 先輩可哀相!」

 もっと言って、皆。

「比奈のほうが可哀相」
「いや……」

 いや、明らかに俺のほうが可哀相でしょう。ちょっとひなちゃんに触れただけでこんな仕打ち、割に合わない。
 制服のズボンを腰ではいていたおかげで致命傷にはならずに済んだのが幸いである。俺は、のろのろと起き上がって抗議を始めた。

「……梨乃ちゃん、今のは女の子としてどうかと思う……」
「嫌がってる子にちょっかい出すのは男としてどうかと思う」
「いや……こういう純な子見てるとさ、からかいたくなるのね」
「やめてください死ね」

 うわあ、と思う。うわあ、この子はとても辛辣だ。
 ぎろりと睨まれて、仕方ない、今日のところは退散だと思う。これ以上ここにいたら何をされるか分からない。脅しはあながち脅しではなかった。とろ火で焼かれるどころの騒ぎではないが。
 ひらひらと梨乃ちゃんとひなちゃんに手を振って、俺は教室を後にする。大丈夫ですかとか用事済んだならあたしと、とさまざまな声がかけられて、けれど今日は用事があるので適当にいなしながら昇降口に向かう。
 学校から駅までの道を、ズボンの裾を引きずりながらだらだら歩く。なんだか、股の間がまだ痛い。使い物にならなくなったらどうしてくれるのだろう。……ああ、彼女なら「いいんじゃないですか。世の中平和になりますね」とかものすごく嬉しそうに満面の笑みで言いそうだな。
 赤信号で立ち止まったところでポケットに入れていた携帯が震えた。メールだ。

『今日おいで』

 深々とため息をつきたくなって、実際息を吐いた。とは言え、別段嫌な人間だとか、会いたくないというわけではない。返信ボタンを押して文を作る。

『バイトのあとでもいいですか?』

 それを送信して青信号で歩き出して、たぶん返信は来ないと思った。彼女はそういう人だ。たまに、ほんとうに分かってるのかな、と思うけど、メールはきちんと見ているようなので俺はそれについて文句を言ったことがない。
 電車に乗り込み、さして混んでいなかったので簡単に席を確保することができた。向かい側の席の窓から真っ黒い地下鉄の壁を見ながら、俺はひなちゃんのことを考えた。
 たぶん、いや絶対ヴァージン。第一印象が悪すぎたか、俺はどうやら近づくだけで拒否反応を起こされるらしい。いじめすぎた自覚はある。
 けれど、あんな大きな目を潤ませて震える小動物的な彼女は、非常に、なんというかむらっとくる。
 むらっとくる、とは言ってもたぶん、性欲とかではなくて、これは何て言うか、壊したい感じ。ぐちゃぐちゃに壊してしまいたくなる。
 こういう気持ち、何て言うんだろう。