OMAKE
精一杯の愛だよ
ぴぴぴと耳元でアラームが鳴っている。梨乃とお揃いで買った、音が柔らかくて気に入っている、濃い茶色の目覚まし時計の音。
うっすら目を開けると、隣の人も目覚めたばかりの様子であたしを見ていた。
「おはよう」
とろっとした、極上の笑みを浮かべてあたしの頬に触れる。
そのまま、先輩はゆっくり起き上がってベッドに座ってあたしを見下ろしている。ぴこっと、寝癖が跳ねている。
「あさごはん……」
「いいよ、無理しないで」
早朝だった。今日は先輩の仕事が家から少し離れたところであるので、先輩はこうして早く起きなくちゃいけない。
ちゅっと頬にキスが落ちて、先輩はベッドから下りて洗面所へ向かう。
自分から触れたり、ねだったり、そういうのがあんまりできない。恥ずかしいし、はしたないかもしれないって思う。だから、あたしはいつも先輩に触れられるのを待っている。
ずるいって、知ってるけど。
「じゃあ、行ってくるね」
「あ……」
眠たくてだるい体を引きずって、起き上がる。腰が重たい。ずきずきと疼くような痛み。
「大丈夫? 寝てていいのに」
「んん……行ってらっしゃい」
「うん、行ってきます」
先輩が、あたしに軽くキスをして玄関のドアノブに手をかける。その服の裾を、気づいたら引っ張っていた。
「ん?」
「……あ」
引き留めるつもりなんかなかった。でも、さみしいって思ったのも事実。
先輩が振り返ってあたしをまじまじと見る。
自分から触れたり、ねだったり、そういうのができない。
だから、服の裾を引っ張るのが、あたしの精一杯で、離さなくちゃって思うのに、掴んだシャツの裾を握りしめてしまう。
頭上で、先輩がくすっと笑った気配がした。空気が抜けるみたいな、笑みを。
顔を上げると、先輩がうれしそうに笑っていた。
そのまま、ぎゅうっと抱きしめられる。触れられるのを、あたしはこうして待っていた。
恥ずかしいけど、でも、そうっと先輩のシャツの裾を掴んで、あたしにとっての精一杯で抱き返す。あったかくて、気持ちいい。とろんと、少しだけ眠くなる。
「仕事、はやく終わったら」
「ん?」
「何かおみやげ、買ってくるね」
「……いらないよ」
「仕事場の近くに、美味しいケーキ屋さんがあったとしても?」
「……いらないもん」
ちょっとだけ、拗ねてみた。
先輩が帰ってきてくれたら、なんにもいらないもん。
でも結局、先輩がきっと、仕事がはやく終わっても遅くなっても、おみやげを買ってきてくれるのはなんとなく分かる。こういうことを言うときの先輩は、そうなんだもん。
そんなことが分かるくらいには、ずっと一緒にいる。
だから、もうちょっとだけがんばって、先輩の背中に腕を回してみた。
「はやく、帰ってきてね」
「……うん。行ってくるね」
先輩は、なんだかうれしそうに、出て行った。
そのぬくもりが、消えてしまった玄関で少しだけ立ち尽くして、あたしは寝室に戻る。
先輩が帰ってくる前に、洗濯物をして、お買い物に行って、それから、とびきりおいしい夕ご飯をつくる。
そんな算段をつけながら、眠気と疼痛には勝てなくて、あたしはもう一度毛布にくるまった。
20130929