OMAKE
ヤリチン、我慢する
図書室に行くと、ご機嫌で本の整頓をしている親友と、大きな読書スペース机に突っ伏して貧乏揺すりしている美男子がいた。
「……何してるんですか?」
「……」
美男子、もとい尚人先輩の向かい側に腰掛け、その貧乏揺すりしている足を蹴飛ばす。おかしい。彼は貧乏揺すりなんてするようなタイプの人間じゃないのに。
あっ、そうだ。
「先輩、昨日どうでした?」
「……」
昨日は、比奈が先輩におうちに誘われた、ということで、あたしをアリバイに使ってお泊りに行っていたはずだ。まだ、のふたりはめでたく結ばれたと信じて疑ってもいなかったが……この様子を見るとどうやら違うようだ。比奈にそういう突っ込んだことを聞くチャンスがなくお昼休みになってしまったので、ここに来たのだが、ご機嫌な比奈と不機嫌な先輩。
結果は火を見るより明らかである。
「まさか、手、出さなかったんですか?」
「……そのまさかだよ」
忌々しげに先輩が吐き捨てる。顔を上げた彼は、目の下にひどいくまをつくっていた。いつにもまして寝不足らしい。
「何か、悩み事でも?」
「……」
「アレがたたないとかそういうのはちょっと相談には乗れませんが……」
「ギンギンだっつの」
おお。
かつてこの男は、こんな軽いジャブで心揺らがされ声を荒げるような人だったろうか。いや、もっとミステリアスで、フィルターがかかったように思考が読めず、何を言われてもひらっとかわす、そんな人だったはずだ。
それがどうしてこうなった。
「あたし昨日の夜、アリバイに使われたんですよ? それなのに……」
「比奈も、ワルになったね……」
「ワルにさせといて未遂って、男として情けないと思いませんか」
「……男の家に泊まるのに罪悪感覚えるくせにさ、俺が何もしないって確信しきってるんだよ」
「……大いなる矛盾」
あたしは、とりあえず目の前の人が可哀相になってきたので、相談に乗っかる体をとった。
夏休み以前の先輩を褒めることは決してできないが、その事実を踏まえて半年近い禁欲は、先輩めちゃくちゃ偉いと思う。
だから、あたしは彼のグチを聞いてあげることにしたのだ。
「俺を聖人君子だと思ってるんだか知らないけど、ベッドで一緒に寝るって言って聞かないんだよ。しかも、抱っこで」
「……つ、つらいですね……」
「おさわりはNGのくせに。しかもね、あの子ものすごく寝相悪くてすぐシャツがはだけるんだよ。ノーブラだし」
「……」
「たとえシャツがはだけてピンクのちくびが見えようと、足が俺の腰に絡んでこようとも、寝言で名前を呼ばれようと、胸板に額をすりすりされて吐息がかかっても……」
「……」
「我慢するしかないでしょ、あんな安心しきった顔で寝られたらさあ」
どうしよう。生まれて初めて本気で同情した。
なんでこの人こんなに苦労してるんだろう、この人はもうちょっと幸せになってもいいと思う。
しかし、この美しい人の悶える顔はこれまた芸術だな……。
「今の時期、さすがにベッド出たら寒いから出ようにも出られないし」
「……」
「いや、もう比奈が寝た時点でちょっと頭冷やそうとか思ってしばらくソファ座ってたけどね?」
「……なんか、もう、ご愁傷様です……」
「ほんと俺がんばってると思う……」
あの、一人掛けのソファにぽつんと座って悶々とする先輩を想像すると、涙が出そうになる。
ちらっと元凶の親友を見れば、相変わらずご機嫌な様子で本棚の整頓をしている。鼻歌つきだ。その背中をぼんやり眺めていると、先輩がふと呟いた。
「でも、まあ」
「え?」
「……比奈が、俺の家に泊まってあんだけ嬉しそうなら、いい、かな……」
くまができた目元をきゅっと寄せて、先輩が穏やかに笑う。
……この人は、こんなに柔らかく笑う人だったろうか。頬杖をついた先輩が、比奈、と声を張り上げた。
「はあい?」
「こっちおいで」
「はあい!」
とたとたと駆け寄ってきて、先輩の前で立ち止まった比奈の頭を撫でて、先輩はふらふらと立ち上がった。
「手伝うよ」
「でも、先輩今日具合悪いでしょ?」
「ん、平気」
「でも」
「大丈夫。比奈のためならね」
「ん?」
たぶん比奈は、今の発言を、比奈の手伝いをするためならね、という意味にとったんだろう。それでいいのだ、比奈だもん。
あたしは、仲良く本の整頓をする二人を眺め、ため息をついた。
先輩がいいなら、いいけどね。あんまり無理して反動がきませんように。
20130726