OMAKE
やきもちな恋人

 比奈のことを信じてないとか、拓人のことを疑ってるとか、そういう概念で俺は人を見ていないんだけど、というか拓人のことなんかはなから信頼してないし。いや、そう言うとちょっと違うんだよな、なんて言うかな、信頼している、もちろんそれは間違いない。でも、それは彼の仕事の腕とか言葉とかそういうものであって、拓人本人を信頼しているわけじゃないんだ。比奈についても、それは同じ。信じてる、っていう世間的な言葉でうまく言い表せないんだけど、信じてるけど信じてない、そんな感じ。
 って、そんなことは今どうでもよくて。つまり、比奈のことを疑ってるとか、拓人のことを信じてないとか、そういう問題じゃないんだ、これは。

「荒れてますね」
「なんで? なんで梨乃ちゃんはそんな平気な顔してんの?」
「イライラしないでくださいよ、ふふ」
「するよ。全然楽しくない」

 拓人が、比奈を連れて買い物に行ってしまった。それも、日常の買い物ではなくて、お洋服などを見に行く、ショッピング。俺を連れて行けばいいじゃん、って思ったけど、俺は午前中から午後にかけて、という中途半端な時間仕事があって、比奈は大学の都合で今日がちょうどよくて、拓人が「じゃあ俺が付き添おう」とか言って、比奈がそれを受け入れて。
 気分は最悪だ。マッハで仕事を終わらせて帰ってきたけど、比奈は当たり前にいなくて。ソファの下とかクロゼットとか覗いたけど、当たり前にいなくて。

「いるわけないでしょ。あんた比奈をなんだと思って」

 梨乃ちゃんが笑う。梨乃ちゃんは、拓人がいなくて暇だというので比奈を訪ねてきたのだが、二人が出かけた、と俺がぶすっとして告げれば、納得したように上がり込んできた。
 別に、拓人が今さら比奈をどうこうするとは思ってない。彼曰く大事な俺の、恋人だという認識があるのは知っているし、拓人は比奈を女としてではなく妹のように可愛がっているのは、見て分かる。
 でも、全然気分は浮上しない。
 梨乃ちゃんがいれた紅茶はとうに飲み干してしまったけど、喉は渇いたまま。
 なんで梨乃ちゃんが普通の顔をして雑誌を読みつつ紅茶を飲めるのかが知りたい。自分の恋人が、別の異性とデートしているんだぞ。そりゃあ拓人は浮気性だし今さらそんなことを気にしても仕方ないとか割り切っているのかもしれないけどさ。それでも、なんかリアクションあってもいいでしょ。

「ねえ、梨乃ちゃん」
「なんですか」
「万が一って言葉、知ってる」
「知ってますよ」
「もしだよ、なんかの拍子に……拓人と比奈がどうにかなったらとか、考えないの」

 別に俺はそんなことを考えているわけじゃないんだ。そんなことが言いたいんじゃないんだ。比奈と拓人がどうにかなるなんて、ラブホに一日閉じ込められてもありえないと思ってる。でも、梨乃ちゃんの嫉妬を引き出したいずるい俺は、こうするしかない。
 梨乃ちゃんはふと雑誌から顔を上げて、目を細めてにいっと笑った。

「先輩」
「……」
「なんであたしがこんな平然としていられるか、分かりますか」
「分からないから聞いてるんじゃん」
「今に、分かりますよ」

 それに、と続ける。

「比奈と拓人さんがデートだなんて、昨日から知ってました」
「え」
「だから、あたしここに来たんですよ」

 涼しい顔をして、わけの分からないことを言う梨乃ちゃんに、俺の身にもしかして万が一が降りかかるのでは、と危惧した。

「まさか梨乃ちゃん、俺とどうにかなろうとか……」
「あるわけないでしょ馬鹿ちんが」
「だよね……」
「でも」

 梨乃ちゃんが、でも、と言ったところで、玄関のドアが開く音がした。はっとなって廊下に出ると、比奈が靴を脱いでいた。

「さっちゃん!」
「比奈、おかえり」
「ただいまですー」
「失礼する」

 比奈の後ろにいた拓人が、比奈の買い物であろう荷物を放り出して部屋にずかずかと入ってきた。なんだろう、と思っていたら、リビングから言い争う声がする。

「どうしてここにいるんだ」
「どうしてって?」
「お前、俺がなんとも思わないと思っているのか」
「その言葉そっくり返すわよ」
「……梨乃、来てるですか?」
「あ、ああ、うん。俺が帰ってきてから、ずっといるんだよ」
「……ふうん」

 ん。なんだろう。比奈が唇を尖らせた。理由を聞こうとしたら、リビングのほうからボリュームアップした音量の口論が聞こえてきた。

「いい加減にしろ。もし万が一があったらどうする」
「だから、その言葉はそっくり返すって言ってるの」
「ヒナと何かあるわけないだろう」
「先輩と何かあるわけないでしょう」
「分からないじゃないか!」
「どうして? あなたが比奈と何もないって言いきれるなら、あたしだって言い切れる」
「おかげで俺は、買い物中気が気じゃなかった!」
「それは光栄なこと」
「ふざけるな!」

 ああ……梨乃ちゃんが余裕の表情だった理由が、なんとなく分かった気がした。
 リビングの二人を止めようと歩き出すと、くんっと服の裾を引っ張られた。

「比奈?」
「梨乃と、ずーっと一緒だったですか?」
「……」

 これは、もしかして。

「……比奈も、拓人とずーっと一緒だったでしょ?」
「で、でも」
「やきもち? 梨乃ちゃんに?」
「……そ、そんなんじゃないもん」
「ほんとに?」

 そういえば、お互いのパートナーと、二人きり、ということは今まであまりなかった気がする。俺と比奈と梨乃ちゃん、とかそういう三人の組み合わせはたまにあるけれど。

「俺は、すごくやきもちやいた」
「……!」
「比奈と買い物行きたかった」
「……ごめんなさい」
「ん。俺も、梨乃ちゃんと二人でおしゃべりして、ごめんね」
「うん」

 さて。こちらは丸く収まった。比奈の顔を見た途端、イライラも吹き飛んだし。
 あとは、リビングでケンカする二人の処理だな。比奈の荷物を持って、俺はどうやって二人を止めるか、思案していた。


20130726