OMAKE
まさかの記念日

 比奈が、ヘアメイクさんに拉致された。俺が撮影している間に、比奈となんだか親しく話しているなあとは思っていたけど、撮影が終わった途端、二人で連れ立ってどこかへ……これ拉致じゃないな。
 控え室に戻ろうとすると、スタイリストさんが、今日の仕事は終わったはずなのにその部屋に入っていくので、声をかけた。

「あの?」
「あ、柳くん、今ちょっと入ってこないでくれる? ごめんね」
「は?」

 いや、俺もう帰る準備をして、比奈を連れて、この間モデル友達に聞いた美味しいケーキ屋さんのイートインで食べていこうねという話を……していて……。
 と思いつつ控え室に近づくと、比奈の声がした。メイクさんとスタイリストさんの声もする。なんだろ、何してんの、女三人で楽しそうじゃん。
 んー……俺への何かしらのサプライズだと考えるのが妥当だよね。入ったら控え室が飾り付けられてるとか、ケーキが置いてあるとか。
 今日、何かあったっけ? 今日は何日だ……いや、特別な日じゃない。と思う。そもそも、比奈と記念日を祝うことってあまりない。せいぜいお互いの誕生日くらいだ。今日は別に、どっちかの誕生日じゃない。じゃあなんだろう。
 控え室の隣の壁に背中をもたせかけて待っていると、スタイリストさんが顔を出す。それと一緒に、俺の私服も出す。

「え……」
「ここで着替えて」
「え!?」
「今比奈ちゃん、非常事態だから」
「は、はあ……」

 さすがに廊下で着替える勇気はなかったので、すごすごと近くのトイレに退散する。着替えて戻ると、スタイリストさんとメイクさんが立っていた。比奈がいない。

「……なんですか」
「入ったら分かるよ。今日、デートなんでしょ」
「はあ、まあ」
「比奈ちゃんが、今日は気合い入れたいって言うから、お姉さんたちがんばっちゃった」
「……」

 胡乱な目を二人に向けながら、俺は控え室のドアを開ける。

「……」
「あっ、さっちゃん!」

 何、あれ。
 目の前に笑顔で立っていたのは、普段とはあまりにかけ離れた姿の比奈だった。
 普段ノーメイクに近い比奈は、今日はきちっと化粧をしていて、アッシュゴールドの髪の毛はきれいにくるくる巻かれてアップスタイルになっている。服装は……いつものとあまり違わないけど、総レースの淡いピンク色のノースリーブワンピースにカーディガンを肩にかけている、ちょっとお嬢様風だ。
 俺は、二度見した。

「どうですか?」
「……」
「比奈、あんまりお化粧しないから、お勉強になったのです」
「……」
「さっちゃん?」
「か」
「?」
「かわいい……」

 消え入るような声で呟いて、赤くなる顔を、口元を片手で覆い隠して比奈から目をそらすと、にやにや笑っている二人が目に入る。悔しいが、グッジョブとしか言いようがない。
 比奈には呟きが聞こえなかったようで、顔をそらした俺に、不思議そうに首を傾げている。感想を求められているということはすぐに分かったのだが、なんと言えばいいのやら。
 と思っていると、犯人二人は、にやにや笑いながら、あとは若い二人でとかお見合いおばさんみたいなことを言って去っていく。

「さっちゃん!」
「比奈」
「ん?」
「なんか、別人みたいになってるね」
「えっ」

 化粧が濃いわけじゃないんだけど、元の顔を崩すほどのものじゃないんだけど、やっぱり、なんか、いつもと印象が違いすぎて、戸惑う。
 わたわたしている比奈に手を伸ばす。頬に触れると、ぴくっと比奈が動きを止めて、俺をじっと見てくる。

「……」
「さ、さっちゃん」

 せっかく、がんばってもらった髪型を崩さないようにそっと引き寄せる。いつもより背が高い気がする、と思って足元を見ると、比奈が普段履いているのよりもヒールが若干高いパンプスだった。
 細い、決して抱き心地がいいとは言えない、もっと食べて太って、と思うような体。ああ、比奈だ、って思う。それと同時に、俺はこの子が愛しいなって思う。そんな体。

「さっちゃん」
「……ごめん、今日、何の日だっけ?」

 ヘアメイクさんが、今日は気合い入れたい云々、と言っていた気がする。ということは、何かあるんだよね、今日。

「さっちゃん、覚えてないと思ってたですよ」
「ごめん」
「今日、お付き合い記念日なのです」
「えっ」

 比奈を離して、その顔を覗き込む。ふふん、となんだか得意げに比奈が口角を上げている。

「ごめん、全然、そういうの興味なくて……」
「比奈もあんまりないですよ」
「じゃあなんで」
「……内緒!」
「ええ」
「ケーキ、食べに行くですよ!」
「ふうん……」

 ご機嫌な比奈に手を引っ張られ、俺は控え室をあとにする。いろいろ思うところはあるが。

「比奈、今日超かわいいよ」
「なぬ!」

 チークのせいだけじゃなく、比奈が顔を赤くした。ああ、食っちまいたいな。


20130627