OMAKE
小さな決意
まただ。また夢を見る。
伸びてくる母さんの白い腕。途中で力を失って床に落ちていくのが、スローモーションで再生される。
もう嫌だ。許されたい許されたい許されたい許されたい……許されない。
深夜に目が覚める。隣では比奈がすやすやと眠っている。その呼吸を、口元に手のひらをかざして確かめる。生きてる。知らずため息が漏れる。
ベッドを抜け出して、トイレに向かう。吐いた。夕食も比奈の自家製デザートのゼリーも全部吐いた。気持ちが悪い。あの血走った母さんの瞳が俺を縛り付ける。
「……先輩?」
はっとした。深夜の静かな部屋にたしかにか細く響いた、比奈の声。トイレットペーパーで口を拭いて、水を流して外に出る。そこには、俺のTシャツを着た比奈が、心細げに、揺れるように立っていた。長めのTシャツから覗く白く細い手足が、窓から忍び込む月の青白い光に照らされて、奇妙な光沢を放っている。
「具合悪いですか?」
「……うん、ちょっとね」
「風邪ですか?」
「いや、違うと思う」
口の中が気持ち悪い。キッチンで水を飲んで、目を閉じる。浮かんでくる風景。許さないから。
俺はいったい何度思い出してはこうして苦悩するのだろう。答えの出ない問題。正解は死んでみなければ分からない。俺がこうして生き続けるのが正しいのか、それとも今すぐにでも死ぬべきなのか。
シンクのふちに手をついてうなだれていると、そろっと身体に腕が巻きついて、腰から背中にかけて心地いい体温が広がった。
「……先輩、比奈は、先輩が何を悩んでるのか、よく分からないけど」
「……」
「比奈は、先輩が大好きですよ。ずっとずーっとこれからも大好きですよ」
「……」
比奈に全部ぶちまけて泣けたら、どれだけ楽になるだろう。でも、この子にそんな重みを背負わせてはいけない。
理性と本能のせめぎ合いの中で、俺が出した結末は。
「……寝よっか」
「あい」
今だけは、このふわふわとした不安定なぬるま湯につかることを、許してほしい。
この先どうなっていくかなんて誰にも分からないけど、比奈を悲しませることだけはしたくない、絶対に。
大好きなんだ。それだけ伝われば。俺は彼女の幸せのために身を引く覚悟はいつでもできているつもりなんだ。いつでも彼女の味方なんだ。だからどうか、君だけは幸せになって。俺なんて、奈落の底に落としてもいいから。
20100720