同情するなら金をくれ
09

 そういうわけで、比奈が先輩の家に猫を見に行くというので、付いて行って先輩に勉強を教えてやることにした。同じ中学校だったから、家は近いようだし。それにしてもなかなかいいマンションに住んでいらっしゃる。

「いいですか、まず基本から覚えなきゃ。三かける七は?」
「馬鹿にしてんの? 三七、だから二十五でしょ」
「……三かける三は?」
「九。……難易度下がったってことは、俺今間違えた?」
「なんでそういうことには賢いのに、馬鹿なんですか」

 甘く見ていた。
 どうやら先輩は、高校に入ってからほとんど勉強をしていないらしく、さらには中学校の内容もおそらくほとんど忘れている。今だって、不意打ちで九九を出題すればこの有様だ。ちょっと待て、九九は小学生の問題だ。
 思わずため息をついたあたしの背後では、比奈が寝転がって猫と戯れている。気楽なものだ。

「俺脳みそ文系なんだよ……数学とか言われてもさあ」
「知りませんよ、はい次。解の公式言ってください」
「え? ……底辺かける高さ、わる2?」
「それ三角形」

 どうしよう。なんだか頭が痛くなってきた。
 一年生の課程を無事に習得できたことが不思議でたまらない。これは浅岡高校七不思議のひとつに入れてしまっていいだろう。この脳に比べたら校長先生のカツラ疑惑なんて瑣末なものだ。
 解の公式を懇切丁寧に説明してから、だんだんと知識を思い出してきたらしい先輩に安堵とも呆れともつかない思いを抱きつつ、ようやく本題の試験勉強のための教科書を開く。彼の教科書はほぼ新品だ、どういうことだ。

「まず三角関数の基本なんですけど、そもそもθってのは米でもカプセルでもなくて……」

 あたしの言葉をさえぎるように、チャイムが鳴る。

「……誰か来ましたよ」
「ああうん。ごめんね」

 先輩が立ち上がって、ドアまで行ってレンズを覗く。特にすることもないのでその華奢な背中を眺めていたのだが、外を覗いた瞬間、その細い線が強張った。
 セールスか何かかな、と思いつつ、そのままぼんやりと青いワイシャツを見ていると、急にそれが振り返って、あたしと目を合わせた。
 もともと色白な彼の顔は紙のように真っ白で、同じように白くて長い指をその顔の横に持ち上げ、申し訳なさそうに眉を下げて、洗面所と思しきドアを指した。

「え?」
「……比奈ちゃんと、そこ入ってて……」