同情するなら金をくれ
08

 何をどう思ったか、飛んでいるアゲハチョウを持っていた箸で捕まえようとした比奈ちゃんが、失敗して残念そうに、それが去ったと思われる方角に目を凝らしている。

「あーあ……俺にその頭脳の五分の一でいいから分けてほしい」
「先輩、ばかなんですか?」
「……まあ否定はしないけど、そういう言われ方するとものすごい腹立たしいな」
「ごめんなさーい」
「誠意を感じない。もう一回」
「ごめんなさいでした!」
「うーん、まあ及第点でしょう」
「わあい!」

 あぐらをかいていた足を崩すと、その拍子にズボンのポケットに入った紙がかさりと擦れて存在を告げた。
 取り出すと、先ほど職員室でお小言つきでもらった、数学のプリントだった。小さなポケットにA4サイズのそれを入れるために幾重にも折ったため、くしゃくしゃになっている。
 皺を伸ばしながら、コンクリートの床に広げてみれば、やはり、数学のプリントなのに数字よりもアルファベットや妙な記号のほうが圧倒的に多い。数学とは数を学ぶと書くのに、どうしてだろう。

「はぁ……」
「それやるんですか?」
「うん、まあ一応ね。適当に埋めて提出すれば、間違ってたって文句言われないよ」
「成績が下がるだけですもんね」
「……うん。鉛筆貸して」

 ようやく食事を再開した比奈ちゃんを横目に、右上に名前を記入して問一に取り掛かる。
 基礎問題、y=sinθのグラフを書け。……sinθってなんだ……数字が一個も出てこないじゃないか……。とりあえず、グラフだから直線を適当な角度つけて引いておけば、間違いでも掠りはするだろう。

「梨乃ちゃん定規貸して」
「そのグラフに定規はいりません」
「なんで」
「答えが曲線だからです」
「いやいやそんなはずは……」
「先輩三角関数って何か分かってますか?」
「あ、三角のグラフ書けばいいわけ? 定規貸してよ」
「……」
「なにその目」
「……三角関数って言うのは」
「ほっ!」

 まだやっていたらしい。梨乃ちゃんの言葉を遮り、比奈ちゃんが箸で空を掴む。余裕の動きでそれをかわしたアゲハチョウがまた、ひらひらと逃げていく。そして何事もなかったかのように彼女が食事を再開する。まだ食べ終わっていなかったのか。
 困ったな、と意味不明な問題が並ぶプリントを眺める俺の耳に、から揚げを口に運んだ比奈ちゃんの「おーいしーい!」というリアクションがのどかに届いた。