こんにちはバンビーノ
01

 梨乃ちゃんが臨月に入った。いつ生まれてもおかしくない状態だ。腹にスイカを仕込んだようなスタイルの梨乃ちゃんは、それでもスレンダーで美人だ。だから余計に違和感がある。

「ふう」
「もしもーし。聞こえますかー?」
「男なの? 女なの?」
「それは生まれたときのお楽しみにしてるんです」
「ふうん」

 比奈が、梨乃ちゃんの腹に耳をくっつけて目を閉じた。今日の病院は、拓人が仕事のため、俺と比奈が付き添うことになっている。

「あっ、今おなか蹴ったよ!」
「うん」

 梨乃ちゃんは、はやくもお母さん気分で、微笑みが柔らかい。拓人の改心もだいぶストレス軽減になっているようだ。
 拓人は、今まで浮気三昧だったのが嘘のように、次々と女と手を切った。まるで比奈と付き合うと決めたときの俺のようだ。女性スタッフに丁寧なのと、ナンパなところは変わらないが、俺の見る限り浮気はしていないと思う。

「そろそろ行こうか」
「あ、はい」
「あー、また蹴ったぁ」
「比奈、行くよ」
「はあい」

 比奈がおなかから耳を離す。梨乃ちゃんが大儀そうに立ち上がるのを、サポートしてやる。
 ひらひらのワンピースを着た比奈が、それをうらやましそうに見るので、俺は比奈も引っ張り上げてやった。すぐにご機嫌になる。安いなあ。

「女の子なら梨花、男の子だったら隼人って決めてるんです」
「いい名前だね」
「あたしたちの名前から一文字ずつ取ってるんです」
「あ、なるほど」

 歩きながら、比奈を真ん中にして手をつないでいろいろと話をする。比奈は両手を俺と梨乃ちゃんにふさがれながら、楽しそうに歩いている。
 駅前の産婦人科の自動ドアをくぐると、女性だけで来ているのと、夫や恋人を連れている人もいて、男に過敏に反応した比奈がぎゅっと手を握る。握り返して、安心させてやる。

「ひとりで大丈夫?」
「大丈夫ですよ」

 俺と比奈は、いったいなんのために来たのやら。拓人に頼まれたからなのだが、一体何を心配しているのか。彼女は俺よりもずっとしっかりしている。
 待合室で比奈とお喋りしていると、梨乃ちゃんが帰ってきた。

「どうだった?」
「順調です」
「もうそろそろ生まれてもおかしくないんだよね」
「そうですね」

 帰り道、行きと同じ並び順で、比奈は手を俺と梨乃ちゃんと握って、ご機嫌そうだ。

「あそこにいた人たち、皆お母さんになるですね!」
「あー、そうかもね」

 堕ろす準備だったり、性病だったりする人もいるんだ、とは純粋な比奈には言えない。

「ただいまー!」

 比奈がミュールを脱いで、元気いっぱいで挨拶をする。誰もいないのに……。

「Bentornato」
「え、なんでいるの」
「仕事がはやく終わったからな」
「いや、鍵は……」
「開いていたぞ、無用心だな」
「……比奈、閉めたんじゃなかったの?」
「……忘れてましたー」

 コーヒーを飲んでくつろいでいる拓人に、肩の力が抜ける。比奈に戸締りをお願いしたのが間違いだった。今度から確認しよう。
 コーヒーをもらって、俺は一口飲んで比奈と梨乃ちゃんのために牛乳を冷蔵庫から出してダイニングテーブルに置いた。

「お砂糖はー?」
「はいはい」
「あたしは牛乳だけでいいや」
「妊婦はあまりコーヒーを飲んではいけないと知人に聞いたぞ」
「そうなんですか? 一杯くらい平気でしょ」
「Humm……」

 渋るような表情で、少なめに、雀の涙ほど梨乃ちゃんのカップにコーヒーを注ぐ拓人も、すっかり父親になった気持ちでいるのだろう。
 未だ、比奈との夜の生活はクリーンなままだ。興奮しても、どうしても赤ん坊のことを思うと、たたないのだ。この歳のカップルでセックスレスなんて、先が思いやられる。