契り千切って元どおり
06

「それで、リノは俺に何の用事だ? 病院に遅れるぞ」
「そ、そうだね……用事は、特にないよ」
「a ha?」

 怪訝そうな顔をしたまま、拓人が梨乃ちゃんの肩を抱いて、廊下を歩く。梨乃ちゃんはなぜか悔しそうな顔でそれに従って歩いている。負けず嫌いな彼女のことだから、呼び捨てできなかったことが悔しいのだろう。今度、拓人のほうにも探りを入れてみるか。

「はい、邪魔者は消えたから、比奈も練習」
「も?」
「梨乃ちゃんは拓人を呼び捨てしたいんだって。比奈は? そう思わない?」
「でもぉー、先輩は先輩だしぃー」

 両人差し指をつんつんと突き合わせながら、比奈がもごもごと言う。

「もう先輩じゃないじゃん」
「うっ」
「ね?」
「うーんと、えーと……さっちゃん!」
「は?」
「ひさとのさ、でさっちゃん……駄目?」

 可愛らしく首を傾げた比奈に、思わず可愛い、と真顔で口に出してしまいそうになる。が、そこはぐっとこらえて、……さっちゃん?

「さっちゃんねぇ……」
「さっちゃん、さっちゃん!」
「じゃあ、それでいいよ。たぶん比奈以外にさっちゃんなんて呼ぶ人いないから、特別な呼び名だしね」
「やったー!」
「買い物行く?」
「行くー」

 ふたりで寝室に入り、コートを着て財布を持って、外に出る。オートロックを抜けると、刺すような北風が襲う。

「寒いね」
「ですねー」
「はい、手」
「んん」

 比奈は、ようやくスーパーに行けるくらいに回復した。拓人にも触られても大丈夫になった。ただ、やっぱり俺以外の男は基本的に駄目らしい。
 ずるっと鼻をすすった比奈が、くしゃみをした。

「また風邪かな?」
「んー……」

 ちなみに、まだ夜の生活のほうは俺が復活できていない。よって、健全な夜を過ごす羽目になっている。欲望はあるのにたたない。この歳でEDって……俺ってすごく可哀想。
 近所の駅前のスーパーに着いて、かごを片手に比奈と食材を物色する。比奈がぽいぽいと野菜をかごに入れていく。

「ちくわ食べたい」
「ちくわ? まだおうちにあったですよー」
「そう?」
「今日の晩ご飯、お魚さんにしますか?」
「なんでもいいよ」
「じゃあ、お魚さん!」

 鮮魚コーナーでなぜかイカを買って、満足した比奈は、パン売り場へ行く。

「え、魚、イカでいいの?」
「いいのですよー」
「ならいいけど……」

 首を傾げて、俺は比奈のあとを追った。
 帰り道、手をつないで白い息を吐いて遊びながら歩く。

「さっちゃんは、明日お休み?」
「しばらく休みだよ」
「ほんと! じゃあいっぱい遊べる!」
「うん、そうだね」

 雑誌の取材も大方終わったし、ちょっとだけお休みが取れる。クリスマスはフリーだ。

「ただいまー!」

 誰もいないのに、比奈が元気いっぱいにそう言ってブーツをぽいぽいと脱ぎ散らかしていく。それを片付けて、俺は比奈のあとを追う。

「……何これ」
「拓人さんがくれたですよー」

 寝室の壁に、さっきは気づかなかったが、俺の来年のカレンダーがかかっている。カメラを見上げるように上目遣いで撮られた表紙はカメラマンのお気に入りだ。

「ここにかけるの?」
「あい!」
「……俺、すごいナルシストみたいじゃん……」

 肩を落とし、しゃがみ込む。比奈が不思議そうにさっちゃーん、と呼んでいる。もう、諦めるか……。

「夕飯の準備しよっか」
「はい!」

 今日は主食はどうやらイカを焼いただけのものらしい。副菜に野菜サラダと味噌汁がついてくる。
 イカを食べながら、俺と比奈はくだらない話をして盛り上がる。
 明日から休みだから、とりあえず初日は一日中家でいちゃいちゃしていたいな、とぼんやり思った。