愛を育んだ先にある物
08

「あれ? 比奈?」

 ダイニングに、比奈の姿がない。品物をダイニングテーブルに置いて、きょろきょろと見回す。すると、寝室から、着替えた比奈が顔を出した。

「どうしたの? 今日は一日中家でごろごろするんじゃないの?」
「……ご飯食べたら、お外、行く」
「大丈夫なの?」
「先輩と一緒なら大丈夫」

 何かを決意したような表情で、比奈が呟く。急に、どうしたのだろう。首をかしげながらも、俺はチキンの箱を開けた。

「じゃ、ご飯にしよう」
「うん!」

 いきなりビスケットに蜜をかけて食べはじめた比奈に、それはデザートだ、と咎めたが、幸せそうに食べているからそれ以上お説教はできなかった。

「おーいしーい!」

 外から暖かい光が注ぐダイニングで、比奈が笑う。たぶん、結婚してもこんな感じで、それでこどもができてもこんな感じなんだろうな、という想像はできるけれど、俺が親として正しく愛情を注げるのかだけが不明瞭だ。
 そして、あらかた食べ終えて、ゴミを捨てて俺は立ち上がる。

「外、ほんとうに行く?」
「うん」

 今までは、スーパーの買い物も俺が行っていた。比奈は部屋でひとり何を思っていたのかは知らないが、そのことについては文句ひとつ言わなかった。部屋にひとりきり、というのは怖いと思うから、俺は早々に買い物を済ませて帰っていたのだ。
 そんな比奈が、自分から外に出ると言う。

「散歩にしようか。いきなり繁華街まで出れないでしょ?」
「うん」

 比奈がミュールを履いて、俺はスニーカーを履いて部屋を出る。手はしっかり握っている。比奈の緊張がその手を通して伝わってきそうだ。

「大丈夫?」
「……だいじょぶ」

 なるべく人気のないところを選ぼうと、俺は比奈の手を引っ張って住宅街の中に連れ出した。

「大丈夫?」
「うん」

 定期的に聞いて、たしかめる。比奈は徐々に慣れてきたようで、リラックスしているのが手のひらから伝わってきた。
 公園で、小さな男の子と女の子たちが遊んでいる。俺たちも公園に入って、ベンチに腰かけた。比奈の手の力がぎゅっと増した。こどもを遊ばせている父親に反応したのだろう。

「ほんとに大丈夫?」
「……うん」

 比奈がぶんぶんと頭を振って、ぱちんと自分の頬を叩いた。気合いでも入れているのだろうか。

「比奈、大丈夫だよ」
「そう?」
「学校も、前より怖くないよ」
「……」
「でも、先輩がいないとずっと怖いままだったと思うの」

 俺と比奈は立ち上がって、家に帰ることにした。ぽてぽてと歩きながら、比奈は何か考えるように唇を尖らせていて、その思考を邪魔するのは本意ではないので、俺も黙ったままだった。
 エレベーターで部屋の階まで上がりながら、俺は比奈の様子を見る。まだ何か考えているようで、目がきょろきょろ動いている。

「どうしたの?」

 痺れを切らしてそう聞くと、比奈は、困ったように眉を下げて言った。

「比奈、先輩のこと大好きだよ。先輩との赤ちゃん、欲しいよ」
「……」
「ふたりで一緒に、力合わせるんだよ」
「……」
「先輩はひとりじゃないんだよ」

 エレベーターが到着した。俺は涙が零れ落ちるのをじっと我慢して、それで、ああ駄目だなって思った。
 ああ駄目だな、まだまだ弱いまま。

「……俺、ひとりじゃないね」
「……うん!」

 でもそれでも、比奈が頬笑んでいる。それだけで、なんでもできるような気がした。