寝耳には涙を流し込め
06

 顔からサッと色が消えた感覚がした。背筋が冷えて全身がカタカタと震え出す。自分を抱きしめるように腕を回し、目を閉じた。肩を掴まれた。

「どういうつもりだ!」
「どういうもこういうも、見たとおりよ。あたしは新しいアパート借りてひとりで暮らすから」
「いきなりどうしたんだよ……」
「いきなり? 何がいきなりよ、ずっと浮気浮気浮気、浮気ばっかりして、あたしの前では飄々としてて、何がいきなりよ!」
「リノ……?」
「もう、疲れたの。拓人さんといるのに、疲れたの」

 そこまで一気に言って、また吐き気がした。あたしは慌てて口を押さえてお母さんにトイレに誘導されてまた吐いた。胃液しか出てこなかった。

「リノ……おまえ」
「……」
「妊娠してるのか」
「……」

 違う、ただの体調不良、そう言えたらよかったけれど、もう繕うのも疲れてしまった。

「どうしてそんなこと黙ってた!」
「あなたに言って堕ろせって言われるのが怖かったのよ!」
「俺がそんなこと言うわけないだろう!」

 激昂して、拓人さんが大声を出す。それに負けじと声を張った。

「じゃあ何よ、責任取れるわけ!?」
「当たり前だろう!? 俺をなんだと思っている!」
「何って? ……下半身で物事考えてるような男にそんなこと言う資格あるわけ?」
「もう浮気はしない。誓うから。頼むよ、リノ……」

 何度その宣誓に騙された? 何回誓っては破ってきた?

「……」
「なあ、戻ってきてくれ、リノ」
「……少しのあいだ、ひとりで考えさせて」
「リノ」
「今日は、帰って」

 拓人さんは、泣いているあたしを見て、帰らないと言い張ったけれど、いつになく怖い顔をしたお父さんに追い払われて、しぶしぶ帰って行った。
 お母さんが心配そうな顔であたしを見ている。

「ひとりで、何を考えるの?」
「拓人さんのこととか、赤ちゃんのこととか、いろいろ」

 ぶっきらぼうに言って、あたしはスーツケースを持って二階に上がった。自分の部屋に入ると、ベッドも机も三年前のそのままで、妙に安心した。ベッドにどさっと身体を横たえ、おなかを撫でる。
 ここに拓人さんとの赤ちゃんがいる。
 そう思うと、不思議な気持ちがした。おなかをゆるゆると撫でながら、あたしは目を閉じる。
 こんな無責任なあたしでも、こどもを産むことができてしまうんだなあ、そう思うと情けなくて涙が出てきた。