寝耳には涙を流し込め
05

「あ、もしもしお母さん? しばらくそっち帰っていいかな。……うん、大丈夫。うん、うん。そのうちアパート探すから。……うん」

 ごろごろとスーツケースを転がしながら、あたしは終電間際の電車に飛び乗った。窓から見える見慣れた街がすぐに知らない街へと変貌を遂げていく。そのうち、懐かしい風景に変わって、降りる駅が近づいてきた。
 電車を降りてから、実家を目指して歩く。途中また泣きそうになったが、こらえた。

「……ただいま」
「お帰りなさい。どうしたの? 拓人さんとけんかでもしたの?」
「いや、けんかっていうか、限界っていうか……うっ」

 突然、吐き気が襲った。あたしは靴を脱ぐのもそこそこにトイレに直進して便座に吐瀉物をぶちまけた。

「……あんたまさか……」
「……」

 あたしの無言は肯定を示す。お母さんが息を飲んで、背中からあたしの肩を掴んだ。

「どういうことなの。拓人さんには言ったの?」
「……言ってない」
「どうして、ふたりの大事なことでしょう」
「もう拓人さんにはついていけない」
「何馬鹿なこと言ってるのよ、拓人さんとのこどもなんでしょう?」
「……もう、疲れたの、浮気ばっかり、そのくせあたしが浮気すると怒って、ガキみたいで、……」

 そんなガキみたいな人を好きだったのだ。大好きだったのだ。いや、今でも大好きだ。
 お母さんが背中をさすってくれる。吐き気はおさまって、あたしは立ち上がった。少しくらっとしたが、気分は悪くなかった。
 そのまま、リビングへ入って、事の次第をお父さんに説明する。お父さんは黙って聞いていたが、あたしの話が終わると一言呟いた。

「中絶はしないな?」
「しないよ」
「ならいいんだ。なんだったら、学校に通ってる間、うちで赤ん坊の面倒を見てやってもいい。もちろん、卒業したら自立してもらう」
「お父さん……」

 寛大な言葉に、思わず涙がこぼれる。それを皮切りに、ぼろぼろと電車の中で我慢していた涙が溢れ出した。号泣するあたしに、お父さんはぽつりと言った。

「あの悪ガキとは、今後どうするんだ」
「……別れる、と思う」
「まあ、泣かせるようなやつに、梨乃はやれないな」

 あたしの涙腺は決壊して、もう化粧がぼろぼろに崩れている。
 と、そのとき、インターフォンが鳴った。お母さんが玄関に向かうと、開いたドアの隙間から鋭い声が響いた。

「リノ!」