寝耳には涙を流し込め
04

「ハァ……」

 今日も拓人さんの帰りは遅い。また浮気しているのだろうか。電話でもしてみようか、でも仕事中だったら怒られるからな……そうだ、尚人先輩に電話してみよう。

『もしもし?』
「あ、尚人先輩、今どこですか?」
『え? 家だけど』
「仕事は?」
『今日はもう終わったよ。……拓人、帰ってない?』
「……まだ」
『あー、まあ、あいつは俺より仕事が多いから、俺と別れてから別の仕事場に行ったのかもしれない』

 先輩はフォローが上手だ。あたしが不安がっていることを素早く察知して、言い訳してくれる。でも、欲しいのはそんな優しさじゃない。
 底抜けにポジティヴで明るくて、ちょっと自己中でセックスだけは乱暴、普段は特別に優しい。そんな優しさが欲しい。あたしをかき乱すのはあの人だけだ。
 先輩との通話を切って、拓人さんの番号を引き出したまま携帯の液晶をにらむ。連絡、してみようか、どうしよう……もし尚人先輩の言うとおり別の仕事場に行ったのなら、この電話は無駄になる。でも……。
 意を決して、通話ボタンを押す。仕事の邪魔をして怒られるならそれはそれでいいのだ。浮気をしていないということだから。
 何度も何度もコール音だけが、あたしの鼓膜を揺らす。出ない……ってことは、仕事かな……。

『Hello?』

 思わず電源ボタンを押していた。
 女の声だった。しかも、外国人の、気だるいどこか勝ち誇ったような声。
 もう何度も浮気された。そのたびに浮気し返してきた。でも、初めて彼の生々しい浮気に触れて、頭がぐらぐらと揺れた。
 もう、無理だよ……拓人さんになんて言ったらいいの? 堕ろすって、赤ちゃんを殺すなんて、無理だ、でも、ひとりで育てていく自信も全然ない。
 携帯が鳴った。ディスプレイを見ると、拓人さんからだった。あたしは緩慢な仕草で携帯を取って耳に当てた。

「……もしもし」
『ああ、さっきは電話に出れなくて悪かった』
「また浮気してたんでしょう」
『……違うよ』
「だって今日の仕事は全部終わったんでしょ?」
『ヒサトがそう言ったのか?』
「終わったらどうしてまっすぐ帰ってこないの?」
『俺にもいろいろ事情がある』
「もういい、あたし、帰る」
『ハ?』
「実家に帰る。もうここには戻ってこない!」
『おい、ちょっとリノ』

 ブチ、と携帯の電源ボタンを押した。直後もう一度拓人さんから着信を受けたが、無視した。
 立ち上がって、最低限の荷物をスーツケースに詰める。必要なものは全部入れてケースを閉じたとき、自分が泣いていることに気がついた。

「……馬鹿みたい」

 階段二段飛ばしの恋だった。背伸びして、対等でいようとした恋だった。それも、もう、終わる。