寝耳には涙を流し込め
02

 梨乃が泣くのを見たのは、初めてだった。だから、あたしはとてもびっくりした。
 尚人先輩に、事の次第を説明すると、あたしと同じようなリアクションをした。その大きな目をカッと見開いて、あたしをまじまじと見つめた。

「それ、マジ?」
「マジみたいなんですよー。それで、あたしと先輩に、婦人科についてきてほしいって」
「それはいいけど……拓人には?」
「詳しいことが分かるまで内緒、らしいです」
「ふうん……」

 先輩がうつむいて、考えるようにため息をついたのを見て、あたしは梨乃に口止めされていることを思い出す。

「あっ、先輩、拓人さんにばらさないでくださいよね!」
「そんなことしないよ。梨乃ちゃんが拓人に言えない理由もなんとなく分かるし」
「そうなんですか?」
「そりゃあ、あんだけ浮気されてれば」
「むむー」
「堕ろせって言われるのを怖がってるんだよ、きっと」
「堕ろすって?」
「おなかの中の赤ちゃんを機械で掻き出して殺すんだよ」
「そっ、そんなひどいこと拓人さん言いませんよ!」
「いや、分かんないよ」

 泣いていた梨乃は、そんなことを心配していたんだろうか。拓人さんは赤ちゃんを殺すなんて、絶対しないと思うのに。
 難しい顔をした先輩が、ぼそっと呟く。

「あさってだっけ?」
「はい」
「分かった。拓人は休日にはどっか行ってるから、大丈夫だと思うよ」

 あさって、婦人科に行って、ほんとうに赤ちゃんができていたら、梨乃はお母さんだ。なんだかすごく壮大なことに思えてきた!
 あたしもお母さんになりたいけど、お母さんってどうやったらなれるんだろう?

「先輩、お母さんになるにはどうしたらいいですか?」
「えっ……さあ、どうだろうね」

 苦笑いした先輩に、首を傾げる。……その顔は、知ってるけど教えてあーげなーい、の顔だ。

「先輩ほんとは知ってるんだ」
「え? あははは……今日の夕飯何にしようか」
「お魚さんがいい!」
「じゃあ、買ってくるね」
「お願いします!」
「誰か来ても、出なくていいからね」
「あい!」

 先輩には悪いけど、あたしはまだまだスーパーみたいなところには行けそうにない。男の人が怖いんだ。
 ひとりきりになった部屋で洗濯物をたたみながら、先輩の帰りを待つ。それから、梨乃の涙を思う。拓人さんは、堕ろせなんて、言わないよ。