指の隙間から零れたの
08

「ヒナは?」
「寝たよ」
「さあ、どうする? 警察に届けるか?」
「ねえ、成沢さん、だよね」
「……」

 頬が赤く腫れている。おそらく拓人に殴られたのだろう。何かを悔いているような顔で、成沢は俯いている。

「比奈になんてことしてくれたの?」
「……」

 なんてことしてくれたの? 俺の比奈に。可愛い比奈に。

「つい、頭に血が上って……」
「言い訳はいいよ」
「……」
「警察には届けない」
「ヒサト」
「比奈の一生の心の傷を、わざわざ表沙汰にする気はない」
「泣き寝入りするのか」
「しないよ」

 比奈を怖がらせて傷つけた罪は、一生背負って生きてもらう。自分が犯罪者だってことを一生悔いながら生きていってもらう。生半可に刑罰を与えて罪を償わせるなんて冗談じゃない。

「ねえ」
「……」
「消えてよ、比奈の前から。まさかまだのうのうと比奈と同じ大学に通うつもりなんかないよね?」
「そんな……」
「罰は受けてもらう。成沢さんに拒否権はない。俺の言ってること、分かる?」
「……」

 比奈を傷つけた代償としては、足りないくらいだ。今まさに就活中であろう彼に、この罰はなかなかに重いだろうとは思うけれど、足りない。
 でも俺は知っている、罪の意識を持った人間は、それを償うすべがないことに絶望すること。
 欠けた爪の先を見ながら、成沢を流し見る。青い顔をしてこくりと頷いた彼に、俺はあとの世話を拓人に任せ、寝室へ向かった。
 どうせ、拓人にあと二、三発殴られる。比奈の傷がそんなもんで癒えるわけもないのは分かっているけれど。

「……」

すうすうと規則正しい寝息を立てている比奈の横に腰を下ろす。涙の跡が痛々しくて、俺は眉をひそめた。

「うっ、うああっ」
「っ比奈」

 急にうなされたように叫んで、比奈が身体を縮こませてぶるぶると震えながらうめいている。顔色は真っ青だ。俺は慌てて比奈を揺すり起こした。

「比奈、大丈夫?」
「あっ、せん、ぱい、比奈……」
「大丈夫。夢だよ」
「……夢?」
「そう。全部夢」
「夢……」

 すがりついてくる細い腕を取って自分の背中に回して、俺は比奈のとなりに横たわった。脂汗をかいている比奈の額にへばりついた髪の毛を払ってやる。

「ぜーんぶ夢。分かる?」
「……分かんない……成沢先輩が……」

 じわっと涙が比奈の大きな目を覆った。俺は思わず比奈を抱きしめて、起き上がった。
 ベッドに座り込んで、比奈を強く抱きながら、頭を撫でて髪の毛をすく。
 比奈は泣きながら俺にすがってくる。もうすぐ夏休みなのが唯一の救いだ。男が怖いからと大学を休むわけにはいかないだろうから。

「先輩、嫌いになる?」
「何が?」
「比奈、先輩の言うこと聞かなかった……だから……」
「ならないよ。大丈夫。比奈は俺が守るから」
「……」
「ずっと一緒にいようね。仕事場にも連れて行ってあげる」
「……そんなの、先輩に迷惑だよ」
「俺がそうしたくてしてるんだよ。比奈は何も気にしないでいいんだよ」

 額にキスをすると、ぴくりと比奈の身体が強張って、少し震えた。

「俺が怖い?」
「……」
「……もう寝ようか」
「ん……」

 しばらくは、スキンシップが減るかな。そう思いながら、比奈を寝かしつける。段々と目がとろとろしてきて、比奈はゆっくり眠りについた。