悪魔はヒールを鳴らす
06

「尚人くん!」

 帰ろうと楽屋を出て歩いていると、後ろから呼び止められた。玲央奈さんの声だ、と思って聞こえなかったふりをする。と、突然腕に絡みつかれた。

「このあと暇? わたし暇だから遊びに行こうよ」
「暇じゃないです。あと、パパラッチ面倒くさい」
「尚人くんとなら、わたし別にいいけどなあ」
「俺は彼女がいるからそういう噂を撒き散らされるのは困りますんで」

 腕に張り付いた玲央奈さんを振り払って、俺は早足でそこから去った。
 それから数回、彼女とは化粧品の仕事で顔を合わせたが、俺はミステリアスなクールビューティを貫くことにした。まあそっちのほうが楽だし。
 携帯のナンバーを知りたがっているのは目に見えていたから、俺はプライベートの携帯を拓人に預けておいた。
 送られる色目は完全に無視をして、俺は仕事に没頭した。撮影で彼女を触るときには比奈のことを思い出してなんとか乗り切った。
 仕事の合間に比奈に電話をして可愛い声に和まされ、俺は頑張った。
 ファンデーションバージョンの撮影で、頬擦りをする、というノルマがあった。仕事だからやらないわけにはいかないが、かなり抵抗がある。
 なんとか収録を終わらせて、俺は頬を服の袖で拭って比奈にもうすぐ帰ると電話をした。大学の正門で待ち合わせをして、俺はスタジオを出て駅に向かいながら歩いていて、ふと花屋に目が留まった。
 なんとなく、今日は何の日でもないが、比奈のために小さな花束をつくってもらった。それを小脇に抱えながら、俺は電車に揺られる。何て言うか、帽子とサングラスをしてブーケを抱えている男って、変。
 大学に着くと、比奈がふたりの男に絡まれていた。しばらく様子を見守っていたが、どうやら俺の話をしているようだ。

「ひーな」
「あっ、先輩!」

 近寄ってきた比奈に、ブーケを渡す。驚いたように俺を見て、それから比奈はにこっと笑った。

「きれい!」
「今日仕事場の近くに花屋があって、比奈が喜ぶかなって」
「嬉しいです!」
「お礼はキスがいいかな」
「ななっ」

 俺は、比奈から視線を外して、ふたりの男を見る。

「友達?」
「んーと、同じ学科の人」
「ふうん。なんか俺すごく見られてない?」
「先輩の話してたからかも」
「俺?」
「先輩は素敵ってお話」
「あー、ありがとう。どうも、比奈がいつもお世話になってます」
「お世話なんかされてないよ!」
「この場合はされてなくてもこういう挨拶だよ」
「ぶう」
「ぶー」

 膨れる比奈の鼻を上向きに押してからかってやる。

「んじゃ、行こっか」
「あい!」

 比奈と手をつないで、学校をあとにする。家に帰るだけなのだが、比奈はすっかりご機嫌だ。

「あ、消毒」

 比奈の頬に自分の頬を合わせる。すると比奈がきょとんとして俺を見た。

「なんですか?」
「今日、撮影で女の子のほっぺに頬擦りしたから、消毒」
「……ほーずり……」
「はい、比奈も消毒して」

 ん、と頬を突き出すと、きょろきょろと辺りを見回して、誰も俺たちを見ていないのを確認して、ぷちゅっとキスされた。
 ……頬擦りしてほしかっただけなのに、とんだご褒美。
 もじもじしている比奈に、今日のストレスが全部ぶっ飛んだ。
 ああ、癒される。可愛い。食べてしまいたい。ていうか食べてもいいよね。