何も言わなくていいよ
10

 一緒に眠っていた比奈を揺り起こすと、むにゃ、と目を開ける。ぼんやりした視点が徐々に俺に合わさって、比奈は起き上がる。

「あっ」
「ん?」
「あさって、レポートの提出ある」
「レポート?」

 どうやら、それを忘れて先生に怒られる夢をみたらしい。

「あさってはなんの授業があるの?」
「幾何です」
「きか?」
「えーと……幾何学模様とかの、あれ」
「ああ、あれ」

なんか、同じような模様が続いてるアレだよな……? それを学問にするとどうなるんだ? ……だめだ訳分からん。

「先輩も、来る?」
「え、いいの」

 そんな話をした二日後、比奈はほんとうに俺を迎えに来た。色の濃いサングラスをかけて部屋を出ると、比奈が不思議そうにそれを指摘する。

「先輩なんでそんなのしてるの?」
「だって、青いと目立つじゃん。俺、一応日本でもけっこう有名だから」
「そっかー」

 手をつないで、ホテルからそんなに遠くない大学に行くため、電車に乗る。二コマ目とあってラッシュは避けられたのか人の数は多くはないが、座れるほどでもない。比奈とドアのそばに寄りかかり世間話をする。

「でもねー、サングラスしても先輩は目立つと思うのー」
「なんで?」
「数学科にはこんな素敵な人いないもん」
「ははは」

 比奈はそういうことを照れもせず口にする。こちらが少し恥ずかしいくらいだ。
 と、比奈の携帯が鞄の中で震える音がした。比奈が慌てて携帯を取り出してバイブを止める。そして、そのまま携帯をいじりはじめる。メールのようだ。

「誰から?」

 ぱちん、と携帯を閉じた比奈に、何とはなしに聞くと、彼女はさっと顔を暗くした。

「あの、数学科の、先輩……」
「ふぅん」
「……」
「……比奈」
「う、はい」
「その人と付き合ったりした?」
「ご、ごめんなさい!」
「いや、謝ることはないよ、ほったらかしてたのは俺なんだから」
「付き合ってないよ! 先輩の代わりにしちゃったの……ごめんなさい」
「……そう」

 何だか複雑な心境だ。謝られると、こちらもなんだか恐縮してしまう。ほったらかして傷つけて泣かせたのは自分なのに、謝る必要なんかどこにもないのに、と。
 ひょこひょこ歩く比奈と手をつないで、校門をくぐる。道行く女の子の視線が痛い。比奈は何も気にしていないように堂々と歩く。なんだか肩身が狭い。

「こっち」
「ん」