何も言わなくていいよ
08

「一緒に住もう」
「ふへ?」

 ホテルから足しげく通っている比奈と梨乃ちゃんの家。比奈が淹れてくれた紅茶を飲みながら、そう提案する。

「今ホテルに住んでるけど、そのうちマンション借りるからさ」
「それって……どどど」
「そう、同棲」
「きゃー!」
「何?」

 顔を真っ赤にして叫び声を上げた比奈に、疑問を投げかける。

「は、恥ずかしい……同棲なんて、破廉恥ですよ!」
「どこが」
「だって、だって、一緒に暮らすってことは、その……結婚してからですよ……」
「世の中に同棲してるカップルなんて星の数ほどいるよ」

 正論をぶちまけると、比奈は少し考えるように唇を尖らせた。

「……そういえば店長も同棲してたような……」
「店長?」
「アイス屋さんの店長です。狙ってます!」
「は?」
「荷物が甘いものでいっぱいなんです!」
「女の人?」
「男の人ですよー。甘いものが大好きで、タバコも大好きで、大阪弁で、えーっと、仕事が嫌いで可愛い女の子に優しい!」
「めちゃくちゃな人だっていうのは想像がついた」

 隣に座る比奈に手を伸ばして、チョコレート色の長い、三年前から伸ばし続けているのであろう髪に手を入れてすくように撫でる。艶があってコシのある、シャンプーのCMのようなきれいな髪だ。

「髪の毛、染めないの?」
「う? これはですねー、試練なのです」
「試練?」
「先輩が帰ってきても、先輩に似合う大人の女でいれるよーに、て!」
「……だからずっと伸ばしてたの?」
「あい!」

 ちょっと感動だ。実際のところ身長も伸びてないし、大きな目の童顔はそのまんまだし、大人って感じはしないのだが、そのために伸ばしてくれてたんだと思うと胸が熱い。

「俺は、比奈が好きな髪型をしてるのが一番いいな」
「え?」
「やりたい髪型、ほんとはあるんじゃないの?」
「……」

 そう言うと、比奈は部屋の隅から雑誌を持ってきて、あるページを開いた。ヘアカタログのページだ。さまざまな髪型の女の子がこちらを見て笑っている。

「これがやりたいの」

 比奈が指差したのは、アッシュゴールドの胸まであるゆるいパーマがかかった髪型だった。

「いいんじゃない? 比奈に似合うと思う」
「ほんと?」
「うん。比奈は色が白いから、こういう色も似合うと思う」

 実際高校時代は飴色に染めていたし、それが似合っていた。そう言うと、比奈はぽっと顔を赤らめて下を向いた。ふたつのつむじを眺めながら、コーヒーが飲みたいな、なんて思っていると、ばっと顔を上げた比奈が、むずむずとふたりがけのソファから逃げ出した。なんだろう、と思っていると、比奈は自分の部屋に入り、何かごにょごにょ喋っている。電話だろうか。
 戻ってきた比奈が自慢げに言った。

「明日髪型変えに行くです!」
「……急だね」
「思い立ったが吉日!」
「ああ、うん」

 ご機嫌そうにソファに飛び込んできた比奈を受け止めると、くすぐったそうに笑った。うう、天使の笑み。可愛い。
 ごろにゃんと甘えてくる比奈を、三年分甘やかす。まぶたにキスをして、額に唇を押しつけて抱きしめる。

「俺、しばらく暇だから、明日一緒に美容室行ってもいい?」
「だめっ、先輩には、ちゃんとしてから見せるの! だからホテルで待ってて!」
「……分かった」

 しぶしぶ諦めて、ぎゅうっと抱きしめる。くしゃくしゃと髪の毛をかきまぜて、そこに顔をうずめる。比奈の髪の毛は、甘ったるいトリートメントの匂いがした。