雨の日の魚と猫と天使
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 茶毛のそいつは、寒いのか、はたまた濡れているからか、あまり動きたくないようで、俺が手を伸ばしても目立った抵抗はなかった。喉をくすぐると、じっとりと濡れた毛が指にまとわりつき、それはひやりと冷たい感覚で。初夏とはいえ、この小さな生き物はこんなに冷たくて大丈夫だろうか。
 なんとなく落ち着かなくて辺りを見回すと、傘の柄に『あいざわ ひな』と可愛らしい丸文字で、記名してあった。いまどき、所有物に名前を書く女子高生も、どうかと思う。

「……あれっ? 先輩?」

 しばらくそこにしゃがんで猫の背中をさすっていただろうか、不意に後ろから甲高い声がした。振り向くと、びしょ濡れの比奈ちゃん。

「きゃー! びちょびちょじゃないですかぁ!」

 俺の状態に気づくと、慌てたようにハンドタオルで俺の腕やらシャツやらを拭き始める。しかしながらそのタオル自体、たっぷりと水分を含んでいるので、あまりと言うか全然意味がない。
 俺はため息をついて、同じく濡れ鼠の比奈ちゃんに、これ以上水滴が当たらないようにと、彼女の傘の柄を持った。

「だめ!」
「え?」

 持ち上げた傘を取られて、比奈ちゃんはそれをまた地面に置く。どうして、と目で問うと、彼女は当然のように語気を強めた。

「猫ちゃん濡れちゃうですよ!」
「もう濡れてるじゃん。それに、比奈ちゃんだって風邪引きたくないでしょ?」

 呆れてそう言うと、大きな目を猫のように真ん丸にして、少女は奇妙なことを言った。

「だって、比奈は風邪引けるから」
「は?」

 こういう場合、風邪引かないから、と嘘でも強がりを言うものではないのだろうか。
 解しかねて首を傾げると、比奈ちゃんが寄り目になって眉を寄せて、一言ずつ、考えるようにはっきりと言葉にした。

「……比奈は、風邪引いても、おうちに帰ったら、看病してくれる人がいて、病院も行けて、治るけど、でも、猫ちゃんは野良で、誰も気づいてくれなかったら、誰も看病してくれなくって、寂しいと思うんです。比奈は、ひとりぼっち嫌だから、きっと猫ちゃんもひとりぼっち嫌だから、傘差して、一緒にいてあげるですよ」
「…………」
「比奈のおうちペット禁止だから、猫ちゃん飼ってあげらんないし……」

 ね。と、ペリドット色の瞳と目を合わせて比奈ちゃんがにっこり笑うと、分かっているかのように猫はようやくにゃあと相槌を打った。俺は、黙って猫を抱き上げて、傘を持った。

「先輩?」