嘘に優しさなんかない
07

「尚人先輩!」
「……比奈」
「今日先輩のおうち行ってもいいですか?」
「ああ、うん」

 電話であんなやり取りをした翌日の放課後、帰ろうと昇降口のロッカーを開けると、背後から声がした。
 昼間は塞ぎこんだまま一緒に昼食をとったが、彼女があまりに静かだったので、気まずかった。今呼ばれた自分の名前は、イタリアに行くと告げる前のように、軽快で明るいそれだった。
 すでにローファーを履いて俺を待っていた比奈は、俺がローファーに足を通して歩き出したのを合図にしたかのように、腕にまとわりついてきた。

「ふっふー。先輩のおうちー。タマと遊ぶんだー」
「比奈?」
「なんですか?」
「いや、……なんでもない」

 このテンションの変化はなんだ? 昼休み以降彼女に何があったのか?
 分からないが、素直に甘えてくる比奈が可愛いし、余計なことを言ってこじらせたくないので、何も言わないことにした。
 てくてくと俺の家までの道のりを手を繋いで歩く。あと三ヶ月しか、この小さな手の温度を感じることができない。ゆっくりと噛みしめていよう。普通にしていよう。

「お邪魔しまーぁす」
「……」
「タマどこ?」

 もしかして、彼女も、俺と同じように思ったのかもしれない。あとわずかしか一緒にいられないのなら、より濃密な時間を過ごしたいと。……都合のいいように考えすぎだろうか。

「比奈、コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「ココアー!」
「あ、はいはい」

 冷蔵庫からココアペーストを取り出して、ヤカンを火にかける。俺の分のコーヒーのドリップをマグカップに固定して、ペーストを鍋にあける。
 作業をしながら、居間のほうで聞こえる比奈とタマのたわむれに耳を傾ける。これも、あと三ヶ月でおしまい。比奈の可愛らしい高い声を、胸に刻んでおこう。