嘘に優しさなんかない
02

「じゃあ、俺はそろそろ帰るぜ」
「ああ、ばいばい」
「またねですよー」

 ドアを閉める直前の、拓人の確認するようなねちっこい視線が目に焼きつく。言わなくてはいけない。

「拓人さんイタリア行っちゃうですねー」
「……そうだね」
「さみしくなるですねー」
「うん……」

 一人掛けのソファにもたれて、膝に比奈を抱く。横向きに座って手すりから足を伸ばしぷらぷらと揺らしながら、薄ピンクのマニキュアが塗られた自分の指を見ている。

「先輩、何か、変」
「え」
「困ってるみたい」
「……困ってる、かぁ」
「悩み事あるですか?」
「ねぇ、比奈」
「う?」
「俺が、もし」
「もし?」
「もし、拓人に付いてくって言ったら、どうする?」

 ぽかん、と口を開いて、比奈が俺の顔をまじまじと見た。

「何、どゆこと……」
「俺、卒業したら、拓人についていこうと思ってる」
「……」

 口を開けて目を見開いて、比奈は俺の言ったことを脳内で処理しているのに違いない。
 しばらくの沈黙のあと彼女の口をついて出た言葉に、俺は後悔した。今言うべきじゃなかった。……でも、いつ言っても、同じ、だよな。

「い、意味分かんない」
「卒業したら、拓人についてイタリアに行って、モデルになるつもりでいる」
「な、んで」
「このままじゃ、俺が駄目になるから」

 黒目がちな瞳に含まれた水分が、動揺をあらわす。ちらちらと涙のようにちらつくそれに、胸が痛んだ。

「駄目、て?」
「比奈に依存して、甘えて、比奈なしで生きていけなくなる」
「……それ、駄目なの?」
「駄目なんだ。俺が、ひとりで立てるようになりたいんだ」
「イタリア行ったら、ひとりで立てるようになる?」
「って、願ってる」
「……行っちゃいやだ」

 予想通り、引き止める言葉が比奈の口をついて出た。ぽろりと涙が一粒溢れる。

「行っちゃいやです、このままがいいです」
「比奈、」
「先輩と離れるのいやです、うっ、ひっ」
「ごめん、比奈……」

 Tシャツにしがみついて泣く比奈を、そっと抱きしめる。あと三ヶ月、三ヶ月しかこの細くて頼りない、だけどすごいパワーを持った体を抱きしめることができない。

「あと三ヶ月しか日本にいないけど」
「いや! 先輩行っちゃ駄目!」
「比奈、わがまま言わないの」

 どの口で比奈にわがままなんて言えたものか。比奈を置いて立ち去るのは自分のくせに。俺のほうがよっぽどわがままだ。

「先輩がどっか行くなんて嘘! 嘘なの!」
「比奈……ごめん」

 嘘なら、どれだけよかっただろうって思う。でも嘘なんかじゃないことは、俺が一番よく知っていて、それでどうしても、比奈に嘘なんかつけなくて。
 でも、今の今まで黙ってたなんて、嘘をついていたも同然だよな。