神様は見ているだけで
09

 納得がいかないように頭を垂れて、比奈が考えるように腕を組んだ。と、そこに予鈴が響く。目をぱちくりさせて、比奈が俺を見る。予鈴だよ、と呟けば、慌しく立ち上がって俺に手を差し伸べた。

「先輩、教室戻りましょう!」

 何気ない行動だったのだと思うけど、俺にはその手が神の救いのように見えた。一瞬、すべてを許された気になった。ここにいていいよ、そういうふうに感じた。
 でも、それは一瞬で、手を取らない俺に比奈が首をかしげた。彼女の胸元でしゃらりと音がして、チェーンに通したリングが揺れる。自分の首元を確認して、リングをぐっと握り締めて、比奈の手を取って立ち上がる。

「授業、何?」
「んとね、世界史」
「俺は数学……」
「数学苦手ですか?」
「と言うか……得意教科がないって言うか」

 手をつないだままなのが気にならないのか、比奈はざわざわと賑わう教室付近に来るまで、おとなしく手を絡
めてくれていた。たまたま通った生徒が俺たちの手を一瞬凝視した。それに我に返ったのか、比奈が俺と繋いだほうの手をぶんぶんと振った。

「破廉恥ですよ!」
「手つなぐくらい……」
「にゃー!」

 にゃーて。
 仕方なく、手を離す。冷たい空気がどこからか流れ込んできて薄ら寒い廊下で、右手に残った比奈のぬくもりが急速に冷えていく。幸せが砂のように崩れていく。

「じゃあ、先輩、さぼっちゃメッ! ですよー」
「うん、また放課後ね」
「はぁい!」

 二年生の教室がある廊下をとたとたと駆けて行く比奈の背中を見送って、自分も教室に向かうために階段を降りる。
 今日もきっと、イタリア行きを決めたことを言えない。いつになったら決心がつくのだろう。比奈の顔を見るたびに、行きたくない、このまま依存していたい、そんな思いが胸を刺す。
 でも、駄目なんだ。俺は俺として、比奈の付属物としてではなく、一人の俺でありたい。
 のろのろと本鈴が鳴るのを聞きながら、教室の後ろのドアから中に入る。教師はまだ来ていなくて、俺は席に座って両手を枕にして机に突っ伏す。
 いつ言おう。そればかりが頭を支配する。
 ざわついた教室で、俺はひとり伏せって思考をめぐらせる。いつかは通らなければいけないその道について。
 誰か、背中を押してはくれないだろうか。思い切り頬を殴ってくれてもいい。俺に、言う勇気を与えてくれはしないだろうか。
 こんな甘ったるい考えになるのも、すべて、比奈との優しい時間のせいだ。昔ならこんなことで迷ったりしなかった。比奈という人間を失うことがこんなにも怖い。温かい周りの人々を失うことがこんなにも恐怖。
 ああ、無感情にすべて切り捨てられたら楽なのに。昔の俺ならきっとそうしていたのに。
 閉めきられた四角い教室という空間で、俺は絶望という名前の扉を開く、そんな想像をする。
 ドアノブに手を触れただけで勝手に開いてしまう、そんな扉だった。

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