抱きしめたかったのだ
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そういえばこの前、拓人が「リノがつれない」とぼやいていたが、そういうことだったんだろうか。
これぞまさに見解の相違。梨乃ちゃんからしてみれば、セフレを切ったまでで、別れましょうなどの言葉などいらないわけで、恋人だったつもりの拓人からしてみれば急につれなくなった梨乃ちゃんを不思議に思うのは極当然のことだ。なんてうまい具合にすれ違ってるんだまったく。
まあ、拓人も梨乃ちゃんも、所詮他人。他人のことで俺が頭を悩ませなきゃならない理由はない。というかそんな余裕はぶっちゃけない。
「ねえ、比奈」
「む?」
もきゅもきゅと弁当を食べている比奈に、呼びかける。
イタリアに行こうと思うんだ。
その一言が、この潤んだ黒い瞳に見つめられるとどうしても出てこない。
「……なんでもない」
「むむ?」
うつむいてご飯を口に運ぶ。コンビニで買ったパックのレモンティーに挿したストローを咥え、目を閉じる。
不思議そうに俺を見ていた比奈が、ふるりと身を震わせた。
「寒い?」
「ちょっと」
カーディガンの上から腕をさすった比奈に、学ランをはおらせてやる。
「先輩」
「ん?」
「先輩寒くないですか?」
「俺は平気」
「……ありがとです」
ぽっと頬を染めた比奈に疑問を抱きつつ、たしかにカーディガンじゃ肌寒いな、と実感する。
「先輩のにおいする」
「え?」
「学ランが、先輩のにおいする」
「香水?」
「ん」
ぎゅーされてるみたい、と顔を赤くして呟く比奈に、こちらが照れてしまう。学ランの前を合わせてはにかむ比奈に、体温が上がる。ひらたく言えば欲情した。
ここが自分の家なら……とよこしまなことを考える。最近は慣れてきたのか衣服を脱がされるのに抵抗されなくなってきた。初々しい反応は最初のころのままで、それがまた俺の背筋を熱くするのだけど。
近づいてそっとキスをすると、比奈が俯いて顔を真っ赤にして先輩のおばか、と囁く。ああ、ずっとこのままでいられたら。
でも、駄目なんだ。このままではいられない。このまま優しいぬるま湯に浸かっていてはいけないんだ。
ふんわりと優しい羽のような比奈の桃色の唇が先輩とうたうたびに、身が切れそうになる。いつまで比奈の先輩でいられるのだろう。
苦しい。
こんな思いをするくらいなら、最初から何もいらなかった。
こんな苦しい思いをするなら、絶望したままでよかった。
何も求めないで、望まないでいればよかった。
どうして、どうして知ってしまったのだろう、このぬくもりを。甘さを、切なさを。
断ち切れない思いに締めつけられた俺を、北風が冷たく撫でた。
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