抱きしめたかったのだ
08

 携帯電話のディスプレイが10/31という数字を表示している。もう来年まであと二ヶ月なんだな、とぼんやり思いながら、コンクリートの上で寝返りを打つ。学ランを着ていても、少し肌寒い。
 携帯を置いて、目を閉じて空から降ってくる冬の光を遮断する。
 イタリアに行くと言ったら、きっと比奈は泣くだろう。でも、告げずに行くなんてできるわけがない。引き止めてほしいなんて、浅ましい思考が渦巻く。引き止められたって、行くのに。
 問題はタイミングだ。拓人は、俺がイタリアに行くと決心したのを見て、任せておけ、ああ、パスポートは自分で作りにいけよ、と言っただけだった。彼を信用してもいいのだろう。タイミング、そう、いつ言えばいいのか。直前か、それともある程度具体的なことが決まったらすぐにでもか。
 ああ、結局、お兄さんとの約束を破ることになってしまったな。比奈を泣かせることになる。ひとりにすることになる。悲しませる。
 それでも、今の比奈に依存している状況は俺には許せなくて、もっと強い自分になりたくて、ひとりでも立てるようになりたくて、転んだとき誰かに手を差し伸べられなくても起き上がれるようになりたくて。
 なりたい自分、をぼんやりと頭に浮かべてみる。ヴィジョンはない。ピントの合わない全身に、顔はぼやけてはっきりしないでいる。
 いつか、なれるだろうか。自信のある、強い自分に。比奈がいなくても歩いていける自分に。

「先輩」

 幻聴だ。比奈が俺を呼ぶ声がする。

「せーんぱい」

 ぷに、と頬をつつかれて、目を開けると、真ん丸な瞳と目が合った。幻聴じゃなかったんだ。

「……比奈?」
「ぼーっとして、どしたですか?」
「うん、ちょっと、考え事……」
「ふぅん。あ、もうお昼ですよー。先輩またさぼったの?」
「うん。授業受ける気になれなくて」
「いっけないんだ! 沢山先生に言ってやる!」
「あはは」

 臙脂色の大きなリボンを胸元に揺らした比奈が、弁当箱を俺に寄こす。受け取って開けると、ご飯のところに海苔で大きなハートが描かれている。いつものことだ。なんだか壊すのが忍びなくて、米は一番最後に食べる。いや、他にもタコさんウィンナーとかうさぎりんごだとか花の形に切られた野菜の煮物とか、食べるのがもったいないものばっかりなんだけど。