小さい人と欲しいもの
05

 一日一日経つごとに、憂鬱さが増していく。あと五日で、母さんの命日だ。
 今年は、去年までとは少し思いに違いがある。
 父さんと、長い時間はかかったけれど和解することができた。ルカがいる、拓人がいる。比奈という大事な人間がいる。
 こんな俺を、母さんは許してくれるだろうか。毎日を幸せ――今の状態をそう呼ぶのだと言うなら――に、ぬるま湯に浸かっている俺を許すだろうか、否。『絶対、許さないから』。
 こうしてのうのうと生きていることさえ、本当は許されないことなのだ。俺のせいで死んだ母さんが、俺を許すはずがないのだ。
 墓参りには、本当は母さんが好きだったアジサイを持っていきたいのだが、季節が違うからいつもしかたなくカーネーションを持っていく。母の日の花だから、という適当な理由からだ。

「ああ、ご飯の時間か」

 タマが足元に声もなく擦り寄ってくる。一年間で、タマも随分成長した。もう仔猫とは呼べない風格だ。
 足に絡みつくタマをかわしながら、フードを皿にあける。床に皿を置くと、俺から離れてそちらへ一目散に向かっていく。けっこう現金なやつだな。
 時計を見ると、午後七時を回ったところだった。まったく食欲がわかない。冷蔵庫から野菜ジュースのパックを出して、残り少ないことを確認して一気にあおった。空になったパックをシンクに放り込んで、急に比奈の声が聞きたくなった。ローテーブルに置いたままの携帯を拾い上げて、着信履歴の一番上にある名前をコールする。
 ……出ない、な。食事時だし、携帯に頓着しない子だし、仕方ない。うん。
 自分に言い聞かせて、携帯をソファの上に放った。
 声が聞きたい。一瞬でもいい。聞けば安心できる。俺の存在を自分で認められる。声が聞きたい。
 駄目だ。依存したら駄目だ。比奈が俺を離れていったとき、どうする。縋るものがなくなったとき、どうしたらいい。ひとりで強く立っていられるにはどうしたらいい。

「イタリアに行く気は?」

 あのとき、絶対に行かないと突っぱねた。でも、一度物理的に距離を置く必要があるんじゃないのか? 遠い異国で彼女のいない生活ができれば、俺は一人でも生きていけるんじゃないか?
 生きる? なんのために俺みたいなクズが生きる?

「死ねばいいのに」

 俺なんて。
 きっと母さんも許さない。
 携帯のコール音が鳴る。

「……もしもし」
『あっ、あの、声が聞きたくて電話しようとしたら、先輩から電話あったから……』

 何か用事だったですか?

『先輩?』
「……声が聞きたかっただけだよ、俺も」
『一緒ですね!』
「うん」

 涙が出そうになるのをこらえて、ず、と鼻をすする。
 世間話を少しして、電話はすぐに切れた。短い時間だったけれど、満たされている自分がいる。まだ足りない、とごねる自分もいる。叱咤して震える足で立ち上がる。
 何か食べないと。ふらふらとキッチンに向かい、ヤカンに水を入れ火にかけてインスタントのものが入っている棚をあさる。うどんを出して封をしているビニールを破り、ふたを開けてお湯を注ぐ。
 出来上がるのを待っている間、いろいろなことが頭に浮かぶ。比奈のこと、イタリアのこと、父さんのこと、母さんのこと、ルカのこと、自分のこと。いろいろ、浮かんでは消える。でも最後に残るのは、母さんの最後の言葉だ。許さない。俺は許されない。