鍵の隠し場所を知る男
04

 どんどん溺れていくのが目に見えるようだ。比奈の身体に触れるたび、言葉にできない安心や愛しさが俺を引きずって、何度も求めたりする。
 比奈を抱けば抱くほど、何かが近づいては遠ざかる。比奈を一番近くに感じるのに、どこか切ない。何度抱いても初めての恥じらいや怯えを見せる彼女が、足りない。このままじゃ駄目だ。

『もしもし』
「あ、あの、先日赤レンガ倉庫のところの撮影で……」
『あ、はいはい。覚えてるよ。桐生くんだよね』
「はい」
『こうして電話をかけてきたってことは、脈アリってことかな?』
「ええと、とりあえずお話だけでも聞きたいな、って」
『もっともね。いつ会えるかな』
「あ、夏休み中はいつでも」

 夏休み中、と言っても、残りの一週間は全部補習だ。比奈に事情を話して、どこかの午後を空けるかたちになる。
 結局、三日後、ということで話がまとまり、俺はしばらく携帯電話を持ったまま途方に暮れた。
 今話していたことが嘘のように感じられる。ローテーブルに置かれた名刺を見て、電話が本当だったことを思い出す。三日後。俺の将来を決めるかもしれない三日後。

「にゃあ」
「あ、ご飯か」

 タマの鳴き声にはっとして時計の針を見ると、夕方の六時半になろうとしているところだった。フードを皿にあけてやり、冷蔵庫の中を覗く。冷凍したご飯があるから、炒飯でも作るか。
 凍ったご飯をレンジで温めながら、キッチンの壁に背をつく。
 モデル……か。
 自分にそんな才能があるとは思えない。しかし、何人ものモデルを見てきたであろうプロが言うのだ。自分では気づかない魅力があるのかもしれない。
 たしかに、顔はいいと自分でも分かっている。そうでなきゃ、後輩の言うところの「入れ食い」なんかできないし。
 ただ、モデルは顔がすべてではないはずだ。オーラとか、そういうカリスマ性が大事なんじゃないだろうか。俺みたいな薄っぺらな人間にオーラなんかあるわけない。
 米と材料を炒めながら、ため息をつく。今更三日後が憂鬱になってきてしまったのだ。
 何はともあれ、今日は飯を食べた後はバイトがあるのだ。いくらバーの照明が暗いからと言って鬱な顔などしていられない。

「じゃ、行ってきます。いい子にしててね」
「にゃ」

 少し塩味をきかせすぎた炒飯を腹に押し込んで鍵を掴んで玄関に向かう。見送りでもするように付いてきたタマにそう言って、俺は夜になってもむっとしている暑さの中、バイト先へ行くため駅に向かった。