憎しみと愛情は同じ色
07

「あはっ」
「ん、どした、比奈ちゃん」
「先輩、元気になったみたい!」

 仕事場からの帰り、元気のない比奈ちゃんに有名なパティスリーのマカロンをお土産に引っさげて帰ると、かわいこちゃんはキッチンでにこにこと夕食の準備をしていた。鼻歌まで歌って上機嫌そうだったので理由を聞けば、今日は桐生が弁当を残さず、青い瞳で登校してきたらしい。よく意味が分からなかったけど、まあ比奈ちゃんがご機嫌ならいい。
 マカロンの入った箱を渡すと、中を見て顔をほころばせてひとつ食べていい? と聞かれた。もちろんと答えると、ピンク色のマカロン(やっぱり、それを最初に選ぶと思っていた!)を手に取って、むぐむぐと食べる。……可愛いなあ。

「おいしー!」
「そうだろうそうだろう!」
「あ、ママお帰りー、お兄ちゃんがマカロン買ってきてくれたぁ」
「あら、よかったわねぇ」

 近所のコンビニまで醤油を買ってきたらしい、母さんが玄関で靴を脱ぎながらのんきに返事をする。

「今日の夕飯は?」
「今日は麻婆豆腐です!」
「おっ、兄ちゃんの好物だな!」
「ん? お兄ちゃん、なんでも好物だね」

 そりゃあ比奈ちゃんの作るご飯は全部絶品だからね、嫌いなものもぺろっと平らげて当然だ。
 比奈ちゃんの頭をよしよしして、着替えに自分の部屋に向かう。ネクタイを解きながら、鞄を部屋の隅に放り投げる。ジャケットも脱いでベッドに落とし、そのままベッドに座り込んだ。
 久しぶりに比奈ちゃんが心の底から笑っているのを見たな、とぼんやりと思う。桐生って男は本当に不思議だ。いつからの付き合いかは聞いていないが、あんなに他人の感情の機微に疎い(そこが『おニブちゃん』で可愛いところでもあるのだが)比奈をあんなに心配させるなんて。そりゃあ、あの腑抜けた顔だったら誰だって心配くらいするだろうが、比奈ちゃんの心配のしかたは尋常じゃなかった。
 いったい、比奈ちゃんに何をしたのだろう。他人のことで一喜一憂することなんて、俺の知っている比奈ちゃんにはありえないことだったのに。

「あー、クッソ」

 ごろりと横になって、もう比奈ちゃんは俺が守る女の子ではなくなってしまったのだな、としみじみ思う。桐生のことで傷ついたり泣いたり不安になったり、いろいろつらいことも経験して、大人になっていくのだな。
 小さい頃から手塩にかけて育ててきた、娘みたいな妹を、そう簡単にどこの馬の骨とも分からない奴になんかあげられない。でも、それは結局俺が決めることじゃないのだ。
 寂しいような、応援してあげたいような、微妙な気持ちで天井を眺めていると、ジャケットのポケットに入れていた携帯が鳴った。

「もしもし」
『あ、雄くん? 今平気?』
「おう。どした、なんかあったか?」
『ううん、別に。なんか今、すっごいイチャイチャしてるカップルが目の前通って、雄くんの声聞きたくなった』
「はは、亜美らしい」

 電話の相手は、恋人だった。大阪勤務が終わればしばらくこっちで腰を据えて仕事ができるから、という理由で、一応婚約者でもある。いや、一応も何もないのだが。
 素直で甘えたがりの性格がどこか比奈ちゃんに通じるものがあって、俺って妹タイプが好きなんだなあと何度か思った。しかし、昔と違って今は亜美もしっかりしてきて、結婚したら尻に敷かれそうな勢いである。でも、甘えたがりなのは今もあまり変わらない。
 結婚して、この家を出るかはまだ決めかねている。亜美はどちらでもいいと言うし俺も女ふたり暮らしというのが不安なので、たぶん亜美が同居することになるのだろうが、新婚気分を味わってみたいというのもある。

「お兄ちゃーん、ご飯ですよー!」
「おう、今行く! わりぃ、亜美、またあとでな」
『うん、比奈ちゃんによろしくね』

 切れた電話をベッドに投げて、俺はキッチンへ向かった。そろそろ比奈ちゃん離れしなきゃな、と思いながら。