雨の日の魚と猫と天使
03

 物分りのいい女の子だと思う。するからって俺に干渉しないし、俺に他の女の子がいるのを知っていても「まあ、尚人だし」と言って笑ってくれる。今日も、比奈ちゃんがいると分かるや否や、電話を切ってくれた。……今日ばかりは、余計な気遣いということになるのだが。
 でもほんとうは気付いている。彼女が、俺のことを縛りつけたいのを我慢しているのとか、ほんとうはあたしだけを見てほしいって思っていることとか。
 だけどたぶん、俺はこうして女の子の間を渡り歩いて夜を明かすことしかできなくて、そしてその生活をやめようと思うだけの魅力があの子にはなかった。申し訳ない話ではあるけれど。

「……比奈ちゃん。君のせいで今夜の予定がパーだよ」
「えっ、ごめんなさい!」
「……冗談だよ」
「もう一回かけ直してみるですよ! 今度は比奈、静かにしてるから」
「いや、だからジョーク」

 口をいーっとして、お口チャックとか言いながら指を唇に走らせる。お口チャック、と言ってしまっている時点でチャックできていない。なんか、もう相手するの、疲れてきた。
 この、それこそ記念物に指定されてもおかしくないような天然娘のせいで、どれほどペースを狂わされているか。目下の俺の悩みは、実はこれである。
 いくら愛らしい容姿で、可愛らしいリアクションとは言え、こうも乱されるといいかげんうんざりもする。本人に悪意がなく、とてもいい子なだけに、余計に。
 俺と比奈ちゃんの相性はきっと、どんな占いでもってしても「最悪」に違いない。当たり前と言えば当たり前、なんたって、他称ヤリチンと、保護者つきの天然ちゃんだ。

「……あれ?」
「何?」

 魚を逃した銀色の携帯を手のひらで転がしながら、比奈ちゃんにちらりと視線を合わせる。彼女は、俺の目をじっと見つめていた。吸い込まれそうな大きなブラックホールにまじまじと見つめられ、少したじろぐ。

「な、何?」
「先輩のおめめって……」
「……」

 ちょうど、夕陽は比奈ちゃんの後ろにあって、彼女からは俺がよく見えているのだろう。俺からは逆行で、彼女の顔は見えづらいけれど、不思議そうに真ん丸な瞳をさらに丸くしているのが分からないほどの暗さではなかった。

「あっ、泥ついてる」

 すっと、なんの他意もなく小さな指が頬の辺り、目の下に伸びる。
 向こうから触ってくるなんて珍しい、とか思う間もなく、反射的に自分の手が、その細い腕を払っていた。