全て悪い夢だったなら
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「俺が見つけて、ぼこぼこにしたんだけど……訳分からないなりにショックだったんだろーな、俺が見つけたときには血まみれで、意識失ってて、目が覚めたら全部、何もかも忘れてた」
「……」
「当然、母さんはそんな父親とは縁切って、慰謝料ふんだくって牢屋ぶち込んで……今何してるかも知らないし知りたくもないけど……」

 頭が真っ白だ。触れようとしたら恐怖に染まった目をされたことがあるのを思い出した。ただの男嫌いだろう程度に思っていたが、そんな理由があるとは思いもしなかった。

「だから、俺は、比奈が男と付き合うのに反対だったんだけど……」
「……」
「お前ならさ、比奈を救ってくれるかもってちょっと思ったんだよ。比奈があんなに男にべったりなのなんて初めて見たしさ」

 コートのポケットに手を入れて、お兄さんが空を見上げた姿勢のまま目を閉じる。俺はただ呆然と、彼の話を聞いているしかできない。
 少しの沈黙のあと、静かに立ち上がったお兄さんは、俺のほうを振り向いて言った。

「お前に、比奈のこと任せるよ。いつまでも兄ちゃんと一緒ってわけじゃないんだもんな」
「でも……」
「その代わり、泣かせたらぶっ殺す」
「……」

 俺も、ベンチから立ち上がる。並ぶと、比奈ほどではないが男にしては小さめのお兄さんを見下ろす形になる。比奈が男だったら、きっとこうなっているんだろうな、と思うくらいにふたりともよく似ている。そして、おばさんによく似ている。父親の影はないと言い切ってもいいくらいだ。
 それがせめてもの救いだったのかもしれない。もしも似ていたら、鏡を見るたび失われた記憶の父親をぼんやりと思い出してしまうかもしれない。

「……大事にします」
「たりめーだ、ボケ」
「……」
「ところで、比奈にお前目が青いって聞いたんだけど、それカラコン?」

 ……この間の親のことと言い、目のことと言い、知らないくせにピンポイントで痛いところを突いてくるお兄さんだなあ。なんて思ったのは、俺だけの秘密だ。
 大事にするから、どうか心配しないで。
 その言葉に嘘はないけれど。俺は少しだけ、ほんの少しだけうしろめたくてどうしても、お兄さんの目を見てその言葉を言うことができなかった。

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