全て悪い夢だったなら
13

 この家でいただく料理はいつも美味しくて、それは今日も例外ではなく、俺は普段よりも多く食べてしまって少し腹が苦しいくらいだが、比奈やおばさんが喜んでくれたからいいとする。
 すっかり誕生日パーティを楽しんで、俺はエントランスまで比奈に見送られ帰路につく。ぼんやりと、パーティの余韻を引きずったまま歩いていると、背後から駆け寄る足音に気がついた。

「桐生」
「あ、お兄さん」
「お前にお兄さんと呼ばれる筋合いはない」
「え」

 じゃあなんて呼べばいいのだ。雄飛さん? いやいやいや、そっちのほうがおかしいだろう。
 なんて自問自答をしていると、お兄さんがうなじを掻いて気まずそうに呟く。

「この間はほんと、悪かったよ」
「え? ……ああ、いや、大したことじゃないですし」
「それで、ちょっと話があるんだが」

 会話が成立しない。
 俺の周りこんな人間ばっかりじゃないか? 比奈しかり拓人しかりお兄さんしかり。
 とりあえず促されるまま近所の公園に連れ入り、ベンチに腰掛ける。

「……何から話せばいいか、よく分からないんだけど」
「……」
「うち、父親がいないんだよ」
「ああ……」

 今日はともかく、正月にもいないなんておかしいと思ったんだ。離婚か死別かは分からないが、事情があるのだろう。

「俺が大学生だった頃まではいたんだけど」
「あれ? 今おいくつですか?」
「もう二十九だよ」
「見えないですね」
「マジ? ってそんなことはどうでもいいよ」
「はあ」

 比奈とはずいぶん年が離れているのだな。てっきり大学を卒業したばかりとかその辺りだと思っていたけど。童顔すぎて年齢不詳だ。

「比奈さ、触られるの嫌がるだろ」
「ああ、はい。最初の頃はかなり」
「家族や高士と翔太以外に触られるの、すごく嫌っててさ、男性恐怖症って言うんかな、中学の時とかそれを知らなかったクラスメイトに密着されてパニック起こして倒れたこともあったんだよ」
「へえ……」
「まあ、俺が家族以外の男は信用すんなって教育してたせいもあるんだけど」

 やっぱりそんな教育していやがったか。じとっとした目でお兄さんを見ると、口を尖らせてぶつぶつ悪態をつく。そのしぐさは比奈にそっくりで、やっぱり兄妹なんだと思う。
 長く息を吐き出して、お兄さんは視線を上に外してぽそりと呟いた。

「比奈さ……自分の父親に乱暴されたんだよ」
「え」
「血がつながってんだぜ、しかも、七つ八つの子にだよ」

 乱暴とは、殴ったり蹴ったりのことではないと、口ぶりから分かる。まさかそんな、自分の父親に?