全て悪い夢だったなら
09

 比奈ちゃんに大嫌いって言われた……。
 呆然と比奈ちゃんと桐生の去った方向を見つめ、そんなに痛くはないが精神的にかなりきた張られた頬に手を当てる。

「雄飛兄? 何やってんの?」
「……高士」

部活帰りであろう、ウインドブレーカーを着た高士が、ぽかんとしてそこに立っている。

「比奈ちゃんに大嫌いって言われた……」
「はあ? なんでまた」
「知らねぇよ! 桐生の悪口言っただけだ!」
「……どんなこと言ったか知らないけど、普通にそれが原因なんじゃね?」
「ただ単に親の顔が見たいとかどんな教育受けてんだかって言っただけだぞ!」
「あー……雄飛兄、それ、やべえよ」
「は?」

顔を歪ませて、頬をぽりぽりと掻いた高士が、ぽつりと言葉を漏らす。やべえって、何がだ?

「梨乃から聞いたんだけど、桐生一人暮らししてんだよ」
「……」
「詳しく知らねえけど、それで比奈がそんなに怒ったってことはさ、桐生にとって地雷だったってことじゃね? 親と仲良くないとかさ」
「……」

 詳しくないからあんまり言うのもどうかと思うけど、と前置きして、高士は続ける。

「比奈がさ、俺ら以外の男にあんなになつくの、初めてじゃん。あのことあってから、比奈もだいぶ苦労したと思うけどさ、比奈、桐生のことすげー好きなんだよ」
「でも、比奈ちゃんに……」
「そろそろ、妹離れしなきゃダメだろ、雄飛兄。翔太なんか桐生のこといけすかねえみたいだけど、早々諦めてるよ」

 街灯に照らされる金髪をぐしゃりと掻き回し、高士は苦笑いして、その手をポケットに突っ込む。

「寂しいけどさ、もう桐生に任せたほうがいいんじゃねーかな。アイツも本気みたいだしさ」

 そんな寂しいことできるわけないだろう……! 比奈ちゃんのおしめを変えたのも俺、初めてたっちした時に写真撮ったのも俺、お勉強教えたのも俺……それをいきなりぽっと出の男に取られるなんて冗談じゃない!
 ……と、頭の中で反論してみるけど、さっきのことしかり、比奈は俺でなく桐生を選んだんだよな……。やっぱり、もう桐生に比奈のことは譲るしかないのか。

「それで、比奈は?」
「俺の頬を叩いて走っていった……ううっ」
「え、追いかけなくていいの?」
「桐生が行った……」
「雄飛兄、泣くなよ。桐生が行ったんなら大丈夫って思ったんだろ?」

 ……ああ、そうか。そうだよな、たしかにそう思ったよ、俺は。
 長いため息を吐いて、俺は静かにそこにしゃがみ込んだ。

「……桐生の野郎、比奈を泣かしたら即刻抹殺だ……」
「そん時は俺も、手伝うよ」
「あーあ……比奈ちゃんが嫁に行くなんて、考えもしてなかったなあ」
「気ィ早いよ……」

 空に輝く星は、冬よりも少なくなっていた。春が、きている。