sight

彼女は時折遠くを見ていた。何も無い中空をただじっ、と。或は普段は其処に無いはずの、誰かが悪戯に置いたゴミ箱に蹴つまづいていた。そしていつからか、彼女はあの几帳面にノートをとる癖をやめてしまった。板書をしに前へ出たとき、通りがかりに見下ろした彼女のノートは真っ白だった。気付いていたの、と彼女が問うた。何処か淡白な、それでいて圧し殺すことの出来なかった感情がにじみ出ているかの様な声だった。うん、と応える。彼女の顔が歪んだのを見て、言い訳がましく、何と無くだけどね、と付け加えた。そう、そうなの。俯いた彼女の顔に長い前髪が覆い被さる。さらさらと揺れる黒色はいつ見ても艶やかで、櫛通りが良さそうだった。「それじゃあ、仕方ないわね」ぽつり、ぽつりと漏らす言葉にはやはり感情が無い様で、有った。きっと、伝えたい感情は咽奥に引っかかった様に、彼女の内に渦巻いているのだろう。「目が見えないんじゃあ、仕方ないもの」小さく頸を降った彼女の掌の上で、未練がまし気に眼鏡がキラキラと光っている。「いつから、」「ずっと見えていなかった訳じゃあないのよ、少しづつ、見えなくなって仕舞ったの。昨日見えていたものが今日少し見難くなって、明日にはもっと朧げになる、」そう言って此方を伺う様に見た彼女の目に僕は写っているのだろうか。

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