アクアマリンリウム


どうしようも無い感情に突き上げられて僕は空を見上げた。ボーンボーンボーンと、町の何処かで十二時を煉瓦造りの時計塔が叫んでいる。わたあめのような雲の隙間に、鮫が泳いでいた。巨大な行船のような鼠色が青い大気を侵している。真昼の太陽がキラキラと眩しい。目を細めても、瞼を閉じても、強烈な光が網膜を焼く。鼻孔を突き刺す途方もない塩の香りに眩暈がした。す、と彼の影がアスファルトに写る。大きな影が僕を飲み込んだ。瞬間にして、夜が訪れる。風が凪いで、生々しい感触が肌を撫ぜた。ぞくり。全身が総毛立つ。背筋を一瞬にして歓喜が走り抜けた。

(そう、彼は正しく)

彼の尾鰭が艶めかしく動いている。ゆらゆら、ゆらり。彼は泳ぎ続けていないと、溺れて死んで仕舞うのだそうだ。生まれた時から泳いで泳いで、死ぬ時にひっそりと眠る。ああ、彼の心の臓が慟哭をやめる瞬間を見てみたい。きっと、聖職者の殉教の様に神々しく、美しく沈んでいくのだろう。ばさり、とその巨体を細かい砂の上に横たえて。その永遠ともいえる生を終えるのだ。ビルの隙間から彼がぎょろり、と森羅の瞳で僕を睨む。その深い色が僕のことを底の底まで見透かしていた。蝶々はもういない。つい、と逸らした視界の端で血の様に紅い天竺牡丹の蜜を吸い出していた。渦巻きを描いたストローの端から甘露が滴り落ちる。上質の天鵞絨の様な両対の羽がが上下している。彼は摩天楼の谷間をゆっくりと泳いでくる。ざばり、ざばり。空気が彼のせいで波立つ。蝶々は何処かへ行ってしまった。撫ぜるようなくすぐったさが頬を掠める。彼がくわ、と口を開いた。ぱっくりと裂けた口に角砂糖の様に白い歯が並んでいる。ぎざぎざしたそれは何如にも玩具の様だった。

(あ、)

息を呑む間に、彼は僕を頭からがぶがぶと飲み込んでしまった。


(そして僕は鮫になった)






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