鵺の夜

突然に月がすう、と姿を隠すと、まるで最後の希望を失ったかのように闇が一瞬にして全てを喰らいつくした。冷たい空気が喉を刺し、肺を穿つ。吸い込んだ息が胸の内を凍らしていく。風もないのにざわめく木々の陰に悪意が潜み、それが確実に肌に染み込んでゆくような気がして、言いようのない恐ろしさに追いかけられて私は駆け出した。

私は夢を見ている。月の無い夜の闇は水底なのだと。深く深く息づく程に肺の中を闇が満たしてゆく。ゆっくりと、確実に胸の奥にまで染み込む。気が付いた頃には、もう遅い。肺は既に酸素を受け付けず、黒い闇のみを欲して大きく動く。ごぷり、と唇から最後の泡が離れた。泡は私の手の届かない所まで上昇して、掻き消える。まるで崖から突き落とされたかのように、頼るものなど無くなって仕舞う。そして、落ちるように沈んで行くのだ。闇の中から見上げた空は煌やかに揺れていた。これ以上月に近づくことは出来ない。見えない空へ向かって伸ばした腕はただ重たい黒をかくだけで、決して浮かびはしない。つい、と上方を見遣れば淡い光に紛れる寸前の境界線に貴方がいた。白い首筋からゆらゆらと糸のような紅が伸びていて、幾つにも枝を分けたそれは私の腕の届く寸前で消える。そして私は、自分の涙が黒いことに気が付いて、夢から覚める。覚めた気になる。

闇を必死に掻く私の両の腕も、躓きながらも走る私の両の足も、黒よりも濃い闇にどっぷりと、沈んでしまっていてよく見えない。底なしの沼の様に、足掻けば足掻く程に沈んで行く。腕に、足に、重く幾重にも夜が絡み付いて、離れない。ぞわりぞわり、と肌を撫ぜる感覚に全身が総毛立つ。私が目指して前へ進んでいる方向には、真実出口があるのだろうか。私が踏みしめ全力で走っている大地は、真実土で出来ているのか。息が出来ないと神に縋る私は本当に私であるのか。

(ああ、ああ、)

私は喉が潰れて仕舞う程の大声で叫んだ。もののけの聲が私を切り裂く。深い夜に遂に私は人であることを失ってしまった。



(バケモノだから)

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