害虫捕殺


例えば、黒星病。黒い星の病、そう言うのだそうだ。優美を極めた薔薇に深い深い疵を負わせる病。葉に黒い死斑ができ、落葉させる。不吉な名の示す通り、花を黒々とした禍つ星が蝕んでゆく。病床の彼女はまさにそうだった。日増しに、弱って行く身体。月が昇る度に、太陽が沈む度に、黒い星が彼女を蝕みいずれ死に至る。まるで焦げた様な花だけを残して、消える。ならばいっそ彼女を美しいままに終わらせてはあげられないのだろうか。例えば庭の紅い椿の様に。或は床の間の切り花の様に。花として咲き誇っているうちに、自然と落とすことは出来ないのだろうか。何かに縋る様に息をする彼女。ぴ、ぴ、と言う電子音が彼女の命をカウントしているみたいに聞こえて、耳を塞ぎたい衝動にかられた。カーテン越しの月光に照らしだされた、文字通り病的に白い肌に無遠慮に牙を立てている針は彼女の命を繋ぐ薬品を絶え間無く流している。もし僕がガーゼを剥いで針さえ抜いてしまえば、彼女は数分も待たずに絶命する。いっそのこと、抜き取って仕舞おうか。そうすれば彼女はこれ以上醜くならずにすむだろう。美しい花のまま死に逝けるのでは無いだろうか。だけど。それは許されないことだった。彼女は未だ、生きている。
文明に、科学に、医療技術に、命の枝を握られて。か細くも息をしている。

(しかし、もう限界なんだ)

僕は手を伸ばす。月明かりが突き刺さる。僕の罪を咎めているのだ。誰も見ていないと思ったか。そう嘲笑している。窓の外の満月は青白い顔で僕のことを見下していた。シーツに散らばる彼女の髪にそっと触れる。以前はさらり、とまるで水でも触っているかのようだったのに。ぱさぱさに渇いてしまった髪は枯れた葉の様で、思わず手を引っ込めた。秋にもの思うときの様な得体の知れない焦燥感。胸の奥でぞわり、と何かがうごめいている。酷く悪い事をしている様な、酷く正しいことをしている様な、そんな二律背反が心臓の内側で混ざりあっていた。このまま彼女の時を止めて仕舞いたい。日毎に腐敗して逝く彼女を見たくは無いのだろう?見るに忍びないのだろう?ならば、針を抜いて仕舞え。耳もとで、誰かが囁く。自分が唆す。甘い甘い誘惑がぞくり、と僕の背中を這いあがった。
心臓が激しく鼓動を刻む。背徳なんて知らないから。背信なんて知らないから。そう自分に言い訳をした。抑えがたい衝動が僕を突き動かす。震える手で彼女を繋ぐチューブを握った。酷く簡単な事。ただこの手に少し力を込めて、引っ張る。
それだけで彼女は美しいまま終了できる。
文明という毒にこれ以上侵されることもなく、科学という病にこれ以上蝕まれることもなく、医療技術という欺瞞にこれ以上生き恥を晒されることもない。文字通り、眠ったまま死の岸に流れてゆく。神様に愛されているように美しかった彼女はきっと、天国へ逝けるのだろう。一瞬だけ、見たことも無い雲の上の世界で笑っている彼女が見えた気がした。握ったままのチューブの、ゴムの感触が気持ち悪い。ぶにぶにと醜いそれが彼女に触れていることさえもがもはや許されないように思えた。僕はまるで死刑囚の様に足を震わせながらも、ゴムの管にかける手に力を込める。誰かと言う名の自分に背を押される様にして。そして。夜は、終わりを告げた。煩い月は柔らかく曖昧な雲が隠して終った。もう、僕の姿を彼女の肢体を見ているものはいない。何かに置いて行かれて仕舞った様な空間で。僕は襲い掛かってくる圧力に耐え切れなくて彼女を置いて逃げ出した。



次の日何時ものように病室を見舞った僕に、彼女は何時ものように痛々しく微笑んだ。まるで、ひび割れたドライフラワーのような笑顔。じくり、と心臓の内側に針が刺さる。彼女は僕のしようとした事に気付いていただろうか。彼女の命を止めようとしたことに気付いていただろうか。そして、臆病な僕には結局何も出来はしなかったことを知っていただろうか。きっと。聡い彼女のことだから、気が付いていたに違いない。
知っていたに違いない。彼女の唇が薄く開く。

「   」

かさかさに渇いた唇が僕に何かを告げていたけれど、もう満足に声帯を震わすことの出ない、彼女の言葉は僕にはわからない。自然、僕の頬をつぅ、と涙が伝っていた。指で拭っても手の隙間から溢れる涙は止まらない。熱いそれが、ぽたぽたと白い無機質な床に零れたが決して吸い込みはしなかった。


(それは酷く残酷な愛のかたち)









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