羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「おかえり、孝成さん」
「ただいま。……もう体調は大丈夫なのか」
「もー、心配性だなぁ。昨日も一昨日もずっと一緒だったじゃん。完全に治ったよ、ありがとね」
 にこにこと笑うそいつは、倒れる前よりもなんというか、追い詰められている感じがなくなっていて俺としては嬉しい限りだ。これまでの、ふと垣間見える表情の抜け落ちた顔が俺はどうにも見ていられなかったのだが、言いづらいことをぶっちゃけてしまったから気が楽になったのだろうか。
 そうだとしたら、これをきっかけにもっと打ち解けてくれるとしたら、俺はこれ以上なく嬉しいのだが。
 全て話してくれたわけではない。そこまで思い上がってはいない。でも、こいつの抱えていたものを少しだけ、一緒に持つことはできるようになったと思う。
「今日はねえ、ぶっ倒れてる間ロクなもん作れてなかったからいつもより凝ってみたよ」
「お前病み上がりであんま無理すんなよ……」 
 髪を撫でると、指通りのいい柔らかな手触りが伝わってくる。ここ数日、こうやってどこかしらこいつを触っているのが癖になってしまった。それはこいつを引きとめていたい俺の気持ちの表れなのかもしれなかったし、倒れたこいつの手をずっと握っていたあの日のことを未だに引きずっているのかもしれなかった。内心、いっそ拒絶してくれればやめる理由ができるのにと思っている。けれど、目を細めて微笑んで、大人しく俺に触れられたままでいるこいつを見ていると、どうにもやめることができなかった。
 こいつは、俺のやることを何でもかんでも許しすぎる。
 けれど、こいつに「触られるのいやじゃなかった」と言われて嬉しい自分がいたのもまた事実で。俺は最近、自分の考えていることが自分で分からなくなることがある。困ったものだ。
「あ、先に弁当箱洗っちゃうね。今日どうだった? 美味かった?」
「おう。あれ美味かったぞ、アスパラベーコンのベーコンの代わりに豚バラ使ったやつ」
「あ、よかったー。ちょっと余ってたのどう使おうかと思ってたんだよね」
「……お前の弁当、会社でも評判いいぜ。お前の飯食うようになってから体の調子もいいし、助かってる」
 ありがとうとか美味いとか、そういうのはなるべくすぐ伝えるようになった。いついなくなってしまうか、きっと危機感を持っているのだ。認めたくはないが、そういうことなのだろう。
 そいつは、能天気そうな顔でふわふわ笑っている。
「孝成さんは、そうやってこまめに色々伝えてくれるから優しいよね。女の子にモテるでしょ」
「はあ? 厭味かお前、最初に整頓されてねえ部屋見てドン引きしてたくせに。あの女っ気のなさ……我ながら残念すぎるぞ」
 大学のとき付き合ってた彼女は就活でお互いに忙しくなって別れた。その後は仕事に必死すぎて機会も無かった。そんな悲しすぎる異性事情だ。
 そんな風に言うと、そいつはまるで自分のことのように憤慨して、「もったいないね、孝成さんこんな優しいのに気付かないとか」なんて腕組みをして唸る。
「みんな見る目が無いんだよきっと」
「そうかいそうかい、そりゃどーも」
「あ、本気にしてないでしょ。別にそんな、お世辞とか冗談とかじゃないのに。孝成さんなら可愛い彼女すぐできるよ」
 むくれるそいつの顔を見ていると、ふと無意識に言葉が滑り落ちてくる。
「まあ、今はお前がいるし……」
 言い切って、今しがた自分の口から出てきた言葉の意味を考え、とんでもないことを言っているという事実に気付いた。お前がいるしって、なんだよ。
 一方で目の前のそいつは俺の言葉をまた何やら悪い方向に捉えたのか、「そっか、おれがいるから恋人もつくれないよね、ごめんね……」なんてしょぼくれてしまっている。このままじゃまたいつ出ていくと言い出すか分からない。俺は慌ててそいつの腕を掴んで弁明する。
「いや、別にお前が迷惑とかいう話は一切してねえから。なんつーか、ほら、アレだよ。お前と一緒にいるのが楽しいから恋人は当分いいかっつー意味」
「……気ぃ遣ってる?」
「それはお前だろバカ。深読みすんな。ネガティブめんどくせえからやめろ」
「ご、ごめん」
 腹減ったから飯食おうぜ、と声をかけると、そいつは慌てたように頷いてキッチンへと入っていく。俺はその後を追いかけながら、先程の自分の発言を振り返る。完全に無意識だった。つまり、あれは本心だ。
 俺は一体こいつを何だと思ってるんだ?
 深く考えてはいけない気がする。踏み込んではいけない気がする。俺がこれについて考えることで、いずれあいつの笑顔を曇らせてしまう気がするのだ。
 最近の俺は説明できないことばかりだ。思わず頭を抱えてしまいたくなるが、キッチンで鼻歌を歌いながらフライパンを振っているそいつを見ると、あたたかい気持ちになるのを感じてなんとか気持ちが持ち直す。
「すぐできるから待っててね」
「おう。麦茶出しとく」
 曇りのない、本当に嬉しそうな笑顔を向けられて、少しだけ心臓がちくりとした。

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