羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「鬼は外、福は内。これを食べれば無病息災、ってね」
「……俺の知ってる節分とは別物に見えんだけど……」
 行祓は今日もにこにこしながら台所に立つ。今は大学も終わった春休みで、無難に試験とレポートを終わらせた俺たちは大学があったときよりも長い時間を一緒に過ごすようになっていた。
 そんな折、何やら今日は昼間から台所でごそごそしていたかと思えば、行祓が夕飯の食卓に出してきたのは節分につきものの豆――のようなものだった。ただし、やけに甘そうな。
「いや、ほら。二月といったら節分よりもバレンタインの方がメインじゃん? 交ぜてみました」
「交ぜてみました、じゃねーんだよ」
「え、おいしいと思うよ? 味見ちゃんとしたし。あ、恵方巻きもある」
「そっちを先に出せよな……」
 予想はしていたが、恵方巻きも手作りだった。きゅうりや玉子、まぐろで色も鮮やかだ。麩のお吸い物と、「やっぱ肉もなきゃ腹に溜まらないでしょ」の台詞と共に鶏のから揚げまで出てきた。これ、豆との食い合わせはどうなんだ……。いや、うまそうだけど。
「今年の恵方ってどっちだっけ……まあいいか、食べられれば」
「いいのかよ」
「だって恵方巻きって食べてる間喋っちゃだめとか寂しくない? せっかく誰かと食べてるのにさ。やっぱ楽しく食べたいでしょ」
「ん……それもそうか」
 行祓のふわふわ理論に納得してしまう。まあ、誰かと食べる飯の方がうまいっていうのには同意だ。この生活で十分に思い知った。行祓は相変わらず穏やかな微笑みを浮かべて手際よく配膳していく。
「それに、まゆみちゃんの食べてるとこ見ながら食べたいしねえ」
「んだよお前、変な奴……」
「綺麗に食べてくれるから見てて飽きないんだってば。ほら、さめないうちに食べようよ」
 促され、食卓につく。「いただきます」手を合わせるときに行祓の視線を感じてなんだかこそばゆかった。見られてると食いにくいんだけど。
 から揚げは、中はじゅわっと柔らかくて衣はかりかりしていて、南蛮ダレも用意してあったのでちょっとつけてみると甘酸っぱい風味がまた別のうまさを感じさせる。そういえば行祓と同居を始めてからコンビニでから揚げを買わなくなったなとしみじみ思った。あつあつを家で食べられるんだから、コンビニで買う理由が無いんだよな……。
 行祓は巻き寿司を切りながらご機嫌だった。「はい、これ」と小皿に一切れ取り分けられ、断面図が綺麗なことにまたしみじみした。
「寿司ってさ、手作りするもんなんだな……店でしか食ったことなかった」
「ああ、酢飯作りがちょっと面倒かもしれないけどね。休みのときしかできない贅沢ってやつ」
「……だから冬なのにうちわが出てたのか」
「うん。バタバタ煩かった? ごめんね」
「や、うまいからいいよ。こっちこそ何も手伝えなくて悪かった」
「まゆみちゃんだって今日は部屋も水場も掃除してくれたじゃん。風呂、ぴかぴかでびっくりしたよ」
「そんなの別に……」
 手放しで褒められると照れる。掃除や整理整頓は好きだが、「似合わない」と冗談でも笑ったりせずにいてくれたのは行祓が初めてだった。気恥ずかしさに黙って酢飯を咀嚼する。玉子焼きの優しい甘さが嬉しくて、それも手伝ってか自然と表情が綻んだ。麩のお吸い物も、胃に落ちる温かさにほっと溜息をつく。
「今日は食後のおやつもあるからね」
「ああ、あの……チョコ豆みたいな……」
「アーモンドチョコがあるんだからこれもいけるって。まあ、まゆみちゃんはバレンタイン当日に山ほどチョコ貰うんだろうけどさ。こういう庶民的なのもいいんじゃない?」
「……俺、豆好きだし。チョコも好きだし。あんま気取ったチョコよりもこっちがいい」
「はは、やっさしー」
「茶化すな」
 こんなに豪勢な料理をいつも作ってもらっていては、今更そんじょそこらの市販製品に心踊らされることはない。グルメを気取るつもりはないが、不可抗力だ。仕方のないことなんだ。
 行祓のうまい飯を食うのが俺一人でいいんだろうか。いや、行祓も食ってるんだけど。こいつがこんな手間をかけて料理を振舞うのが俺にだけでいいんだろうか。こいつの料理の腕を独占できていることに優越感を覚えるのも事実なのだけれど。だから、ついつい甘えてしまうのだけれど。
 今はまだ、もうちょっとだけ独り占めしておこう。そう思って、ふと俺はいただきますの時からずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「なあ、今日まだ二日じゃん。節分明日じゃねえの?」
 すると行祓は、照れたように笑う。
「あはは……うん、明日なんだけど。まゆみちゃんがどんな顔して食べてくれるかなって思ったら、フライングしちゃった。いつもおいしそうに食べてくれてありがとう」
 ああもう、御礼言いたいのはこっちの方だっつの。
 いつもうまい飯ありがとう。何回言っても、きっと足りない。だって明日も俺は、こいつの作ってくれたうまい飯を食べるんだから。

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