羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

INFO / MAIN / MEMO / CLAP


 こたつテーブルの上に乗ったどんぶりに驚いて、一瞬言葉が出てこなかった。
「これ食べないと年越しって感じしないよねえ」
 一味か七味いる? と尋ねてくる行祓にようやく「そのまま食いたい」と返して、俺は改めてどんぶりに目をやる。深緑を基調に黒が差す色のどんぶりには、黄色い衣の天ぷらが溢れそうなくらい盛り付けられていた。エビとちくわとしいたけと、緑が鮮やかな春菊。隙間からそばが覗いている。これを作るのにどれだけの労力がかかるのか、普段料理をまったくしない俺には想像もつかない。
 今日は大晦日。大学も終わった冬休み真っ最中。実家が雪深い地域にあり、冬は帰省をしたくないのだと何の気なしに大学の同級生でありルームシェアを共にする同居人でもあるこいつに言ったところ、なんと一緒に年越しをすることになった。その上こうして年越しそばまで作ってくれたのだ。慌てて箸やコップを用意して、そのときに箸休め用であろうほうれん草のおひたしの小鉢も発見して舌を巻いた。
 こたつに入り、熱い湯気を出すそばを目の前に手を合わせる。
「いただきます」
「ん。いただきまーす」
 天ぷらは、サクサクの衣にひたすら驚くばかりだった。出汁を吸ってふやけた部分も味が染みていてうまい。
「行祓の飯はいつもうまいな……」
「あはは。まゆみちゃんは素直に褒めてくれるとこがいいよね」
「素直っつーか、事実だろ。でも、二人だけなのに油使ったり面倒だったんじゃねえの? 悪い」
「変なとこ気にするね。いや、てっきり他の友達とか、それこそ女の子たちとかと年越しすると思ってたけどおれと年越ししてくれるって言うし。気合入っちゃった」
 随分と意地の悪いことを言う。けれどこいつは、もはや俺がこの程度では不機嫌にならないと分かっていてこんなことを言っているのだ。ルームシェアを始めて一年近く、そんじょそこらの女よりこの同居人を優先するくらいには、俺はこの生活が心地いいと思っている。
「うまいもん食ってると性格よくなる気がする」
「え、なにそれ遠回しに褒めてくれてる?」
「結構直球」
「だよね」
 行祓は上機嫌そうににこにこしている。デザートもあるからね、なんて言ってくる。
 困るのだ。飲み会やらで居酒屋に入っても、以前なら全然気にならなかったであろうところが引っかかる。なんとなく物足りない。行祓だったらどういう味付けにするだろう、とか、自然と考えてしまう自分がいる。行祓の作る飯は、同世代のどの女の作るものよりもうまい。
 一年にも満たないこんな短期間で、俺の舌は見事に肥えてしまったらしい。外食がいまいちうまく感じられなくなってしまって、だから余計にまっすぐ家に帰ることが増えた。
 いつの間にやら、「まゆみちゃん」という女みたいな呼び方をされるのにも慣れてしまったし。名字を馴れ馴れしく呼ぶ才能に溢れすぎだろこいつ。
 生活に浸食されているなあ、と思う。三大欲求のうちのひとつを握られているのだから当たり前なのかもしれないが。厄介なことに、それが別に嫌ではないのだ。
「まゆみちゃんってお正月にお雑煮食べる派?」
「あー……あれば食べる派……っつーか、雑煮は好き」
 若干の期待を込めつつ返すと、じゃあつくろっか、とのほほんとした笑顔で言うそいつ。きっとまた俺は餌付けされるのだ。仕方ないだろう、うまい飯には抗えない。
「にしても、今年最後に食べるご飯がおれのつくったやつで来年最初に食べるご飯もおれのつくったやつだよまゆみちゃん。おれ尽くしだよ」
「変な言い方すんなよ……」
「今やまゆみちゃんを肉体を構成する大部分はおれのつくったものだと言っても過言ではないね」
「いや、それは過言だ」
 言い返してみたもののあながち間違いでもない気がして、改めて、ああ本当に浸食されている、なんて思った。
 こいつの作る飯がなくなったらどうしよう。そんなことを考えてしまう時点で、もう俺の負けでいい。

back


- ナノ -