羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

INFO / MAIN / MEMO / CLAP


 昔から、落し物を拾うことが多かった。大きなものから小さなものまで金額も様々で、そのたびに警察に届けていたら若い警官に呆れられてしまったほどだ。まあ、落とした人も困っているだろうと思うので見て見ぬふりはできないのだが。
 それにしたって、人間は流石に許容範囲外だろう。

 その人を見つけたのは、繁華街と隣り合った路地裏でのことだ。時刻は人通りも少ない早朝。何故そんな時間にそんな場所を通ったかというと、部活の早朝練習に遅刻しそうで近道をするためだったのだが。うつぶせ気味に地面に臥せっているその人は、暗めのくすんだ金髪にぐしゃぐしゃのスーツ。髪で隠れて顔はよく見えない。
 どう見ても行き倒れで、慌てて駆け寄るととりあえず息はしていたので安心する。
「……ぅ、」
「だ、大丈夫ですか……?」
 僅かに呻き声が聞こえた。慌てて耳を近付けると「も、う、飲めねえ……」と一言。
 とりあえず救急車は呼ばなくても、いいらしい。
 ただの酔っ払いかよ、と思ったのだけれど放置もできない。警察……に届けられても警察のひとが迷惑するだろうなあ。どうしたものか。
 見たところ酔っぱらって爆睡しているだけらしいので(すやすやと穏やかな寝息すらたてている)体調面で心配はいらないだろうが、こんなところにボロ雑巾みたいに転がっていては色々危ないだろう。盗難とか。
「あの、すみません。大丈夫ですか? 立てます? というか、起きてます? 家、どこか言えますか?」
 返事がない。だめだ、完全に寝てる。肩を揺すってもむずかるだけで埒が明かない。
「……あー。起きてから文句言わないでくださいね……」
 こんなところで寝ているのが悪い。おれは色々なことを諦め、タクシーを呼ぶべく携帯を取り出した。


 車の乗り入れがし辛い場所だったので、開けた場所までその人を抱えて歩く。手前味噌ながら力には自信があり、自分よりいくらか身長の高いだろうその人もどうにか運ぶことができた。程なくしてきたタクシーの後部座席にそっと体を押し込むと、早朝だからか途中で信号に遮られることもなく家に到着する。
 一番近くにいた、お手伝いの笹原さんに門を開けてもらって中まで乗りつける。家事をしていたのであろう彼女は仕事を中断させてしまったのに怒る様子もなく、慌てて駆け寄ってきた。
「万里坊ちゃん、どうしました。今日は学校だと……」
「すみません笹原さん、ちょっとあの、色々あって……客間をひとつ開けられるかな。難しいようならおれの部屋でも」
 笹原さんはそこでようやくタクシーの中にいるもう一人の人物に気付いたらしい。
「……そちらの方は」
「道端に倒れていて。随分酔っていて起きる様子がないから、病院に行くほどでもないだろうけど一応介抱をと思ったんだ」
「あらあらまあ……」
 口元に手を当てて控えめに驚く笹原さん。金髪が珍しいのだろうなあ、と思う。たぶん。というか、この人の全身珍しいのだろう。金髪にピアスにスーツに派手なシャツに、他にもアクセサリーがじゃらじゃらしている人なんてそうそう見ない。少なくともおれが今までこの家に連れてきたことはなかった。
「ではお布団を用意しますね。お風呂もいるかしら、外に倒れてらしたんでしょう」
「ああ、お願いできますか。……お酒飲んだ後に風呂っていいのかな」
「このご様子だとお風呂はしばらく後になりますよ。お飲み物がいるでしょうね。ええと、坊ちゃんお一人で運べます? 男手を寄越しましょうか」
「いや流石にそれは。手を煩わせてごめんなさい」
「何を言いますか。もっとわたくし共に用事を言い付けていいんですよ。それが仕事ですからね」
 そう言い残すと、笹原さんはきびきびとした動作で去っていった。敬語を使わないでほしいと言ったらどうにかこうにか丁寧語を砕けさせて使ってくれる優しい人だ。
「……あ。あー……兄さんに部屋を使う許可をいただくべきだったかな」
 ここは確かにおれの家でもあるのだけれど、本来ならばあまり自分の好きなようには使ってはいけない場所なのだ。
 タクシーの料金を払って酔っ払いさんを再び抱え上げる。酒の匂いに混じって、香水のような匂いもした。うーん、ホストとか、そういうやつかな。
 倒れていたときは髪で見えなかった顔がよく見える。整った造作をしているな、と思う。まあ、男が男に言われても嬉しくないだろうけど。なんて、つらつら考えていたらすぐに客間に到着した。
 笹原さんが用意してくれた布団にそっと、抱えていた体を横たえ――ようと思ったのだが、やはり服が若干汚れているのが気になる。あまり派手に布団を汚すといけない。上着だけ脱がせたもののこれ以上は駄目だろう。仕方ないので、不格好だがスーツの上から薄い着流しに腕を通させてから布団に寝かせた。ここまでしているのに一向に起きないのだから本当に驚く。
「部活、休むって連絡しないとな……」
 とりあえず一仕事終えた気分になったおれは、あと何時間くらいしたらこの人は起きるのだろうな、なんて思いつつ、そっと部屋の障子を閉めてその場を後にしたのだった。

prev / back / next


- ナノ -