羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 まゆみちゃんは夏に弱いけど、冬もそんなに得意じゃない。というか、体の末端が冷えやすいみたいだ。今日も卒論の資料をまとめる指先をこまめに唇にくっつけて暖をとっている。
 暖房の温度を上げると部屋全体が乾燥してしまうので、それもちょっと嫌、なんだとか。難しい。
 まゆみちゃんが軽くため息をついて背伸びをする。集中が切れたのかもしれない。伏せられた目がなんとなく色っぽく見えるなあ……なんて思いつつ、おれはタイミングを見計らって声をかけた。
「まゆみちゃん」
「ん……?」
「さっきから手寒そうだよ。ちょっと休憩しない? 紅茶淹れたから」
 こくり、と言葉少なに頷くのももう見慣れた光景だ。おれはいそいそと二人分のカップを運ぶ。まゆみちゃんは紙類を横にどかしてくれて、無事にカップは机の上に並んだ。こういうところ、何も言わなくても通じるようになったのがくすぐったく感じる。思えば随分と長い時間を一緒に過ごしてきた。
「紅茶、珍しいな」
「でしょ。今日はね、ちょっと試してみてほしいものがあって」
 ティースプーンを手渡して、おれはちいさなジャム瓶と取り皿を差し出す。驚いたように見開かれた瞳に嬉しくなった。期待した通りの反応があると、色々とやりがいもあるというものだ。
「桃の時期が終わる前にジャムにしておいたんだ。果肉大きめに残したから、紅茶と一緒にどうぞ」
「ロシア紅茶? ってやつか?」
「そんな感じかな? あれってジャム舐めながら紅茶飲むのが正式って聞いたことあるんだけど、実際どうなんだろ。紅茶に入れちゃってもいいのかな?」
「あー、なんか女子がそんな感じのこと言ってた気がする……」
 ネットで軽く調べてみて、舐める派が正式と言いつつ最終的にはまあどっちでもいい、みたいな結論だったので気分に任せることにする。味の調節は、舐めながら飲む方がしやすそうだよね。
 幸い、純粋に果物と砂糖をじっくり煮詰めただけのジャムなのでそのまま舐めても優しい甘さで問題無い……はずだ。まゆみちゃんは甘党であることも手伝って、取り分け用のスプーンから小皿に移したジャムをそのままティースプーンですくって一口味見して顔をほころばせていた。どうやらお気に召したみたいだ。紅茶を飲んでほっと息を吐いて――そういう表情の変化も見逃さないように気を付ける。
「うまいよ。ありがとう」
「よかった! まゆみちゃん冬場になるといっつも指先冷えてるから、なるべくあっためるようにしようね。お夕飯は鍋ですよ」
「鍋」
「つみれ鍋」
「つみれ鍋……」
 そうやってあからさまに嬉しそうにされるとちょっと照れる! かわいいけどね。ほんと、一年の頃よりだいぶ食欲に対して素直になったと思う。
「まゆみちゃんの手はあったまったかなー」
 指先に触れるとまだ若干ひんやりとしていたけれど、「行祓は手あったかいな」となんとなく甘えたような台詞が返ってきたので熱を移すように華奢な手を包んだ。うーん、いつ見てもすらっとしてて長い指だ。まゆみちゃんは指先までかっこいい。
「行祓」
「ん? なに?」
「……もうちょっとだけそうしてて。いい?」
「手のこと? いいよー。お安い御用」
 おれの手でよければいくらでも貸すよ。あ、でも、夕飯の準備しなきゃだからそれまでの間しか無理かな? そんな情緒の無いことを考えてたおれの心を読んだかのように、まゆみちゃんは小さな声で言う。
「別に夕飯までこのままとか我儘言わねえから、……俺とお前が同じくらいの温度になるまで」
 うわ、どうしよ。夕飯の時間遅らせたくなっちゃったじゃん。
 そんなわけにもいかないので「うん。同じくらいあったかくなるまでね」とだけ言っておく。桃のジャムを口に含んで、紅茶のカップに口をつける。
 ――なんだか、夢みたいに甘かった。

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