羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「もし意味分かってて言ってるんだったら、告白はおれからしたいからちょっと待ってほしいんだけど」
「はあ? 何言って――」
 ……ん? …………ん!?
「は!? お前マジで何言ってんだ!?」
「いや、せっかくだからもっと雰囲気ある感じで……せめて夕飯がかに玉じゃなくてビーフシチューとかのときに告白したいなと」
 誰かこいつの言ってること翻訳してくれよ。混乱して言葉が出てこない。
 呆然としているオレに、陽人は「おれかに玉作るから朔は米炊いてよ。早炊きだったら三十分くらいで炊けるよな?」と話を振ってくる。
「お……おい」
「ん? どした?」
「雰囲気とかどうでもいいから今すぐ説明しろ」
 陽人は笑って、「いいの?」と言った。どくり、と心臓が重く跳ねる。
「いいのって……なにがだよ」
「せっかく、冗談ってことにして流せるように保険かけたのに」
「保険?」
「おれの保険じゃないよ。朔のだよ」
 真っ直ぐな視線に射抜かれて、指先ひとつ動かせない。オレは薄々、こいつが何を言いたいのかが分かっている。
「朔が覚悟できてるんなら、今すぐにでも言えるから、おれは」
 ゆら、と瞳の色が一瞬ゆらめいたように見えて、なんとなく察してしまう。オレはこいつの幼馴染だから。すっかり分からなくなってしまったと思っていたのに、やっぱり昔からこいつの一番近くにいたのはオレだったから。
 こいつは今、オレを真っ直ぐに見て、覚悟なんて全部できてますみたいな態度でいるけど――きっと、少しだけ緊張している。
「……はる」
 もう長いこと使っていなかった呼び方を、した。この柔らかい響きが好きだった。
「たぶん……お前がオレに何を言えるのか、何考えてるのか、分かった」
 声が震えそうだったのを、流石にそれはカッコ悪すぎると思ったので必死に耐える。
 小さい頃からの仲だから、それこそとっくの昔にカッコ悪いところも情けないところも何もかも、見られてるけど。どんな顔だって見せられるのがこいつだけど、それと同じくらい、こいつの目に映る自分が恥ずかしくないものであればいいと思ってる。
「……す、」
 きだ、と言おうとした瞬間、唇に柔らかいものがぶつかってきた。
「んんっ……!」
 舌を入れられたわけでもない、スタンプを押すみたいなキスだったのに、たちまち体が動かなくなった。そいつの唇がオレの下唇を食んで、カサついた唇の皮をそっとなぞるように舌が這う。
 こっそりと盗み見た瞳はなんだかぎらぎらしていて、少しだけ驚く。ずっとこいつの幼馴染だったはずなのに、こういう表情を見たのは初めてのように思ったから。
 もしかすると、オレが気付こうとしていなかっただけなのかもしれないけれど。
「……だから、告白はおれからしたいって言ったのに」
 吐息のような囁きが遠ざかって、オレはせめてもの強がりでその言葉を鼻で笑う。
「バァカ、日和ってんじゃねえよ。早い者勝ちだろ。邪魔しやがって」
「じゃあおれも邪魔されないうちに言うわ」
 すきだよ。
 あっさりと、言われた。今日の夕飯の献立を決めるみたいな気軽さだった。
 どうしてとか、嬉しいとか、そういうことを思うよりも先にまず笑ってしまう。さっきまで焦ったり怒ったり慌てたりしていた自分がバカみたいに思えたから。
「…………夕飯がかに玉かビーフシチューかで何か変わったか?」
「んー、変わらなかったかも。もうちょい早めに言っておくべきだったかな」
 脱力だ。ここまでマイペースに話を進められると怒る気も失せてくるし、ついでに感動も失せる。せっかく……その……両想い? が判明したはずなのに。
 なんだかいじけた気分になってしまったオレだったが、陽人はにこにこ笑って「まあ朔の観察するの面白かったから別にいいか」なんて言っている。
「は? 観察? 何?」
「え、だって朔おれのこと好きじゃん。もうずっと前から。『今日も朔はおれのこと好きなんだなー』って思いながら観察するの楽しかった」
「はあー!?」
 今度こそひっくり返るかと思った。思わず「お前なんなんだよマジで!」と胸倉を掴んで陽人のことをがくがく揺さぶる。
「おれも朔のことずっと前から好きだったから、気付くよ」
「……オレは気付かなかったんだけど……?」
「それはまあ、朔が鈍いんじゃない? というか朔以外はみんな気付いてたぞ、おれが朔のこと好きだって」
「……みんな?」
「朔の友達とか。今日も一緒にいたじゃん。喧嘩売られたからどうしてやろうかと思ったけど、今度から堂々と喧嘩買えるかな」
 こいつが喧嘩を売られていた覚えは一切ない。何言ってんだ? と思ったら、「おれの朔のこと下の名前で呼び捨てにしてくるなんて図々しいだろ」と言われた。お前のじゃねえ。
「ついでに言うと朔がおれのこと好きなのもたぶんみんな知ってる」
「は!?」
「面白かったから黙ってたけどこれからは堂々と一緒にいられるな!」
「おい、その話が全部本当ならオレは現在進行形でお前のことちょっとずつ嫌いになってるぞ……」
「なんでだよ。美味いかに玉作るから許して」
「オレの! 好意を! 夕飯とトレードオフするんじゃねえ!」
 おまけにかに玉の味付けは企業努力だろ。
 叫びすぎて酸欠になったのか頭が痛くなってくる。眉間を押さえると、陽人はオレの肩を抱いてリビングへと向かった。どうやら本当にこの流れのまま夕飯を作るつもりでいるらしい。どういう神経してんだ。
「米炊いてもらおうかと思ったけど、休んどく?」
「いや、いい……やる……」
「朔のそういうとこ素直で好きだな」
「オレはお前のそういうマイペースすぎるところが嫌いだ」
「でもトータルだと好きだろ?」
「こんなことになってもトータルで嫌いになれないのがめちゃくちゃムカつく……」
 もう何年好きだったかも数えていないのだ。こちらに向けられる満面の笑みも、たまに力加減を間違えやがる手つきも、好きだ。そういう意味で、オレはとっくにこいつに負けている。そう、惚れた方の負けってやつ……。
 その理屈で言うとこいつもオレに負けていないとおかしいはずなのだが、どうしてこんな余裕なのだろう。それが余計にムカつく。
 無言で米を研いで炊飯器にセットして、早炊きボタンを押す。「おい、米セットしたぞ」斜め上を見上げると、「ん、うん」というどこか上の空な返事が届いた。
 陽人は、どこか落ち着きのない様子でそわそわしている。
「んだよ、どうかしたか?」
「んー……」
 ……こいつがこうやって濁すときは、言いたいことは決まっているが心が決まっていないときだ。
 今度はオレが陽人の腕を引いて、リビングにあるソファまで連行する。どうせ早炊きでも炊き上がるのに三十分はかかるし、それまでの時間でこいつをいじめてやるのもいいだろう。せめてものお返しだ。
「何か言いたいことがあんなら言え」
「うわ、乱暴」
「は?」
「沸点低いなほんとに……えっと、」
 そいつは一瞬目を逸らして、唇を舐めて湿らせた。
「告白の返事……聞きたい」
 一大決心しましたみたいな表情のわりに声は小さくて、そのことが妙におかしかった。あんなにあっさり告白してきて、ぺらぺらと余計なことをいくつも喋る余裕はあったくせに、返事を聞くのはそんなに躊躇うんだな、と思った。
「……オレが『好き』って言おうとしたの遮られた気がすんだけど」
「あれはさ、おれも焦ってたんだって。先に言われちゃったら恰好つかねえだろ」
「今のお前の方が断然カッコついてねえけど」
 あ、やっぱり? と照れたような笑顔でそいつは眉を下げた。そんなのを見せられてしまってはもう駄目だった。オレはせめてものポーズでデカいため息をつきつつそいつの背中に腕を回す。
「……オレも好き。ずっと前から、だいぶ、かなり好き」
 そして気付いた。陽人の心臓の音はびっくりするくらいの速さだった。もしかしたら、余裕に見せようとしていただけで、最初からこんなに心臓ばくばくさせていたのだろうか。
 だとしたらめちゃくちゃ嬉しいし、こいつも少しはオレに負けてくれてる。
「……ありがとう。朔の心臓、どきどきしてるな」
「――、なんだよ、結局オレも負けかよ……」
「え?」
「なんでもねえ。聞くな」
 説明なんてできるか。
 恥ずかしかったのでキスで黙らせることにする。幸い陽人も、オレの意味不明な発言よりキスを優先させたい気持ちになってくれたらしい。くっついているのか離れているのか、唇の感覚が曖昧になるまでひたすらキスを続けた。
「ん……」
「……これからは、こういうこともいっぱいしような」
 答える暇もなく再度唇を塞がれた。……まあ、これを遮ってまで反論しようとは思わない。なんだかんだ、オレも今後に期待しているのだから。
 唇の間を唾液が繋いで、ぷつ、とそれが切れる。頭がふわふわしてくる。ひたすら気持ちよさを追いかけて、舌が自然と絡む。
 快感に思わず体が跳ねそうになったそのとき、やけに間抜けな電子音が鳴った。炊飯完了のメロディだ。ぼんやりした頭で、空腹を自覚する。
「は、ぁ……とりあえず、飯」
「え、本気?」
「美味いかに玉作るんだろ」
 別に今しかできないわけじゃねえし、と言ったら、名残惜しそうにしていた陽人はたちまち機嫌を回復させた。チョロい奴だ。
「オッケー。超急いで作る」
「別に急いで食わねえからな」
「いいよ。朔が食べてるとこ見るのもなんか楽しいし。それに、この先もいくらだって続きできるし。だろ?」
「そーいうこと」
 そうと決まればオレもかに玉を作るのを手伝わねばなるまい。二人で作った方が早く済む。
 ――この気持ちを伝えたら、何もかもぶっ壊れると思ってた。
 キッチンでかに玉の素を箱から出している陽人を横目に、そんなことを思う。
 調理台の上に皿を並べて、袋の中に放置されていた卵のパックから中身を取り出しつつ隣に意識を配ってみるが、何もぶっ壊れていないし、案外劇的に変わるもんでもないんだなと改めて実感した。
「あ、卵ありがと」
「おう。飲み物いつものでいいよな?」
「うん」
 これだっていつものやりとりだ。これまで何度となく繰り返してきた。
 でも、陽人から向けられる視線は、少しだけ変わったような気がする。オレの意識が変わったからそう感じるだけなのかもしれないが、陽人だって少しは変わってくれているならオレが嬉しいから、そう考えるようにしようと思う。
「はる」
「ん? なに? 朔」
「これからもよろしくな」
 陽人はコップをテーブルに並べるオレを振り返って、笑う。
「どうしたんだよ改まって。こちらこそ一生よろしく」
 屈託のない笑顔だった。
 こういうところが、やっぱり好きだ。
 きっと一生。

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