羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 二十五日、すっかり夜も更けた頃に高槻から連絡がきた。『あしたあいたい』という変換すら放棄した文面に、今年のクリスマスも大変だったんだな……と今更ながら心配になる。この時期の高槻は睡眠時間を削って仕事をしていて、オレはというとそういうことはなるべく控えてほしいなーと思うのだ。自分のことは棚上げで。
 でもほら、オレは元から夜型だし、普段規則正しい生活をしてる高槻が徹夜するのとはまた話が違うっていうかさ。そうでしょ?
 『了解』と手短に返信を済ませてスマホのバックライトを消した。こんなこともあろうかと明日は休みとってるし、というか正直期待してたし、今日はオレも早めに寝ちゃおう。たぶんオレが高槻の家に着く時間にあいつはまだ寝てるだろうから、あまり活躍の場がない合鍵を使おうかな。
 こういうとき、オレが料理のひとつでも作れたらあいつが目を覚ますまでに色々準備するんだけど。そして、逆の立場だったら高槻は色々と準備しておいてくれるんだけど。激務が一段落ついてようやくぐっすり眠れて、それで起きた初っ端に食べるご飯が不味いって逆に嫌がらせになっちゃいそうだ。
 うんうん唸る。料理は科学とか料理は愛情とか言うけど、オレ科学の成績よかったし愛情も足りてないわけないと思うんだけどなあ。
 高槻は自分がしてほしいことを殆ど言わない。今日みたいに突然会いたいって言ってくるのも割と珍しいと思う。今更その生き方を変えることはきっと難しい。だからなるべく、取りこぼしのないようにあいつに優しくしたい。オレはそう思ってる。
「……よし」
 ゆっくりお風呂に入って、いい匂いのシャンプーと石鹸で全身綺麗にして、高槻のお小言を思い出しつつちゃんとタオルドライとドライヤー。いつもの倍の時間をかけて歯を磨く。体温が落ち着くまでは株価のチェック……もいいけど今日は本にしておこう。電子画面って寝つきが悪くなるとか言うし。
 ベッドの中でスマホを触るのもやめて、すぐに目を閉じた。
 だってほら、さっさと寝ればすぐ明日になる。そしたら久しぶりに高槻に会える。


 カチャリ、と静かに鍵を回した。予想通り、部屋の中はとても静かだ。
 時刻は昼前。オレだったらまあこのくらいまで寝てても別にいいか……って感じだけど、これが高槻となると非常事態だ。あいつは本来休日でも六時起きしてるタイプの人間なのである。真似できない。
 寝顔を見たい気もするけど起こしちゃったら申し訳ないからぐっと我慢。作業しながらそわそわ待っていると、やがて寝室の方から物音が聞こえた。気配が洗面所の方へと移動している。相変わらず、目覚めてからの行動が早い奴だ。
「ん……おはよう」
 そいつはリビングに入ってきておそらく真っ先にオレを探して、まだ少しだけ眠そうな声で言った。いつもより少しだけ低く、甘く掠れた声だった。
「おはよ高槻。久しぶり……って思ったけど意外とそうでもない?」
「半月ぶりくらいだな」
「普段週に二、三回ペースで会ってることを考えると久しぶりだったね」
「んー……」
 あ、まだ微妙に頭回ってなさそう。可愛いな。
「お前、いくら体力あるからって無茶しすぎ。人増やさないの?」
「調免持ってる奴がもう一人くらいは欲しいけど……俺より年下なかなか見つからねえんだよ」
「年上の部下が気まずいとか言ってる場合じゃないと思うよ」
「んんー……」
 考えるのが面倒になったらしい高槻は、のろのろと手を伸ばしてこちらに抱きついてくる。この話題、もう何度も同じところぐるぐるしてるもんなあ。たぶん高槻って典型的な「人に頼むより自分でやった方が早いから結果的に色々抱えこむ羽目になる」タイプなんだと思う。人が一のことやる間に三とか五とか平気でやっちゃうんだよね……。
「はー……お前何時からここにいんの? 飯は?」
「一時間は経ってないよ。飯はまだ」
「じゃあ作るわ。ちょっと待ってて」
「ストップストップ! そんなすぐ活動開始しなくていいから! というかお前は腹減ってんの?」
「昨日は飯食う暇なくて風呂だけ入ってすぐ寝たから割としっかりめに食うつもりだけど。でもまあ寝起きだからもうちょいしてからの方がいいな」
「オレ、休みの日は朝昼兼用だから今すぐに食べなくても平気だよ。だからさ、飯の前にちょっとこっち来て」
 そいつの手を引いてソファまで歩く。「ここに寝て」不思議そうにしつつも何一つ聞かず素直に従ってくれる高槻はやっぱり可愛いんじゃないかと思う。「あ、うつ伏せね!」オレはいそいそと寝そべった高槻の傍に寄った。
「疲れてるだろうからマッサージしてあげる」
「お前んなことできたっけ……?」
「子供が親に頼まれてやるレベルのやつしかできないけど……でもほら、失敗料理食べさせられるよりマシでしょ?」
 何作ろうとしてたんだよ、と聞かれて、「え。えーっと、おにぎりとか……?」なんて答える。火も包丁も使わないから失敗の確率低そうじゃん。ただし、オレの家には海苔も具もなかったし、なんなら白米すらなかったので断念したのだ。もっと言うと塩もなかった。流石にどうかと思う。
 試しに自宅に塩がなかった話をしてみると、「なんでだよ……」と想像以上に絶望的な声音が返ってきた。
「逆に何があるんだ? お前の家」
「調味料だととんかつソースの袋がある確率が一番高いかな。塩とか砂糖とかってコンビニで何買っても個包装でついてきたりしないよね?」
「あー、ソースはコロッケとか買うとついてくるもんな……」
「ケチャップとマスタードもね。あの、真ん中を折って中身出すやつ。スーパーでお寿司買ったときに余った醤油の袋とかもとっておいてあるよ」
「そっか……」
「ちょっと。全てを諦めたような声やめてくれませんかね」
 ぐっ、と肩甲骨と背骨の間辺りに親指を当てて体重をかけると、あまり抵抗なく指先が沈む。うーん、さてはあんまり凝ってないな?
「一応聞くけどお加減いかがですか」
「お前体重軽いな……心許ない……」
「そういうことを聞いてるんじゃないんだけど」
「気持ちいいっつーより微妙にくすぐったい。実はあんまり肩こりとかねえんだよ」
「うわーっやっぱり!」
 やっぱりおにぎりを握っておくべきだったんだろうか。でも、存在しない白米と海苔と具で握ったおにぎりってなんか哲学的だよね。「ない」が「ある」っていうか。ドーナツの穴が「ある」っていうのと似てる気がする。
「……高槻ってドーナツの穴を食すことができるタイプ?」
「は? 何言ってんだ?」
「ごめん今のは我ながら意味不明だったわ」
「お前の方が疲れてんじゃねえの……? ほら、交代」
「え」
 オレが上に乗っているにもかかわらず高槻が体を起こしたので、当然のごとくバランスを崩した。そして当然のごとく受け止めてもらえた。愛されてるなとしみじみ思う。這うようにして体勢を整えると、すかさず手が伸びてくる。
 寝起きの体は温かい。肩に触れる体温が心地よくて、凝りも解されていく。高槻はマッサージすらそつなくこなすのであった。
「んえー……気持ちいいんだけど当初の目的と違ぁう……」
「デスクワークなんだし、俺より凝ってるのは当たり前なんじゃねえの」
 気持ちだけで嬉しい、と高槻は言う。花丸の回答だ。でも、少しくらいワガママ言ってほしい。
「ねー、今から今年一番のワガママ言って」
「『言って』って……俺が言うのか? お前が言うんじゃなくて?」
「お前が言うの。で、オレが可能な限り叶える」
 無茶振りが過ぎたかと思ったけれど、こういうときだって一応真面目に考えてはくれる奴なのだ、高槻は。マッサージの手を止めることはなかったけれど、「じゃあ…………んー、……どっかで予定合わせて酒飲もうぜ。今日でも別の日でもいいし」との返答。思わず「えっ楽しそう!」といかにもはしゃいだ声をあげてしまった。
「……待って、なんか結局オレが喜ばされてない?」
「お前が喜んでくれると俺は嬉しい」
 さらっとそんなことを言って、高槻はオレの表情を窺いつつ笑う。悔しいけれど完敗だ。おそらくこの後は高槻が作ってくれた料理を一緒に食べることになるのだろう。愛情たっぷり、溢れんばかりの。
 それが嬉しくもあり、もっとオレからも何かしたいのに上手くいかなくてもどかしくもあり……。
「高槻はさー、オレが何できたら嬉しい?」
「規則正しい食生活」
「もっとお前にダイレクトに影響がある感じのこと」
「……店の節税対策? 相談乗ってほしい」
「そういうのは超得意」
 そして高槻はオレを喜ばせるのが得意。昔からずっとそうだ。
 オレも、高槻を喜ばせるのが特技だって言ってもいいだろうか。完全にうぬぼれてる発言なんだけど、なんだかんだこいつはオレが傍にいるだけで嬉しそうだから。
 ぼんやりと仕事納めについて考える。今日はもちろん一緒にいるけど、今年中にもう一回くらいは会いたいな。一緒に新年を迎えるのもいいんじゃないかって思う。高槻はきっちりしてるから、年末年始くらい帰省して親に顔見せろって言うかもしれないけど。
 リアルに想像できてしまって笑みがこぼれた。すかさずそれに気付いた高槻が、「どうした?」と優しく尋ねてくる。
「高槻が隣にいて嬉しいなって思った」
 ため息のような、今日一番嬉しそうな笑い混じりの声を漏らした高槻は、「俺も」とだけ囁いた。
 それはとても愛しい、オレたちだけの時間だった。

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