羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「西園寺、もうすぐ肉届くから受取のサイン頼むわ」
「ああ、分かった」
 この会社では、秋にバーベキュー大会が開催される。幹事はもちろん新人の仕事だ。おれも例に漏れず、同期の人たちと一緒に作業をしていた。
 こういう行事、嫌がる人が多いのも分かるんだが、おれ個人としては割と好きだ。幹事の作業も苦ではない。基本的に、人の集まるところに行くのは楽しいと思う。誰かと会話するのがそもそも好きなのだろう。
 バーベキュー会場である公園の入口で業者から届いた食材を受け取り、サインをしてトラックを見送る。すると、背後から「なあ、それ一人で運ぶの?」という聞き慣れた声。
「矢野さん。お疲れ様です」
「お疲れ。一人だったからどうしたのかと思った。他の同期は?」
「飲み物を運んだりタープを建てたり火を起こしたりしてますよ。あと、氷が足りなくて急遽買い出しに行ってます」
 手伝うよと言われて嬉しく思ったのだが、敢えて「矢野先輩のお手を煩わせるわけには……」なんて言ってみる。ちょっとした意地悪だ。きちんと気付いてくれたらしく、「春継」とほんの少しだけ甘えるような響きが耳を掠めた。
「おや、いいのかい? 会社の人たちもいるのに」
「どうせ誰も聞いてないし……っていうか、休みの日にまで他人行儀にされたくないんだけど」
「他の人に示しがつかないからさん付けしているだけだよ。あなただって分かっているだろう、冬眞くん」
 でもお肉を運ぶのは手伝ってもらおうかな、と言うと、冬眞くんはへにゃっと笑った。あまりにも隙だらけだ。こんなところ、誰かに見られたらどう言い訳するつもりなのだろう。まあ、おれが敢えて止めることでもないが。
 二人で台車を押して、ダンボール三箱分の食材をバーベキュー会場へと運ぶ。同僚たちも先輩に手伝ってもらってタープや椅子の設置を完了させたようで、種火が少しずつ大きくなるのを待っている状態だった。
 一緒に戻ってきたのをいいことに、冬眞くんと同じテーブルで隣同士着席する。このくらいは許されるはずだ。冬眞くんも同じことを考えているに違いない。同じテーブルを囲むのは、他に女性が三名だ。おれより年上で、冬眞くんよりも年下……くらい。
 男性ばかりの席ならよかったのに、と思った。冬眞くんは、女性にほんの少しだけ苦手意識がある――というのが分かるから。あと、おれの周りに女性がいるのはぼんやり不安なようだから。
 冬眞くんは、女性になりたいわけではないのだそうだ。けれど、女性を羨ましく思ったことはある、と言っていた。この辺り、きっとおれには正確なところは一生共有できない感情なのだと思う。けれど、冬眞くんがそんな感情を抱いているということを、おれにくらいは隠さずに済むようになったことは喜ばしい。
「西園寺くん、お仕事は慣れた?」
「同期で一人だけ配属先が違って大変じゃない?」
「普段あんまりそっちの部署と関わりないからなんか新鮮だね」
 女性の先輩が口々に気遣ってくれるので、おれもそれなりに愛想よく返事をする。まあ、新入社員ってはきはき明るく喋れば大体のことは大目に見てもらえるからな……特におれ、年上の人には何かと許してもらえやすいみたいで、そういうところは得だなと思う。
 ……それにしても、冬眞くんって女性に人気ありそうだよなあ。
 冬眞くんと喋っている女性の先輩たちを見ていると尚更そう感じる。彼は外だと猫を被ってるから、普段割と適当だけど目配りの利く優しい先輩――くらいの立ち位置であるらしいことが窺えた。ポジション取りが上手い。
 まあ、これは冬眞くんが長い時間をかけて積み上げてきた処世術だ。ちょっとやそっとじゃ崩れない。たとえ笑顔で相槌を打っていても、本心が別のところにある、というのはきっとおれだけが知っていればいいことだ。
 おれだけが知っていればいいこと……なので、冬眞くんが女性に囲まれて笑っていたとしても気にならない。……そう思っていたはずなのだが。
「西園寺? 皿空いてるけど。肉入れる?」
「ありがとうございます。矢野さんもこっちのエビいかがですか? おいしいですよ」
 素直で出来のいい後輩の振舞いを完璧にこなしつつ、おれは内心で唸っていた。
 冷静に考えれば分かる。冬眞くんが好きなのはおれだし、何も気にしなくていい。家に帰ってから思う存分二人きりで話をすればいい。でも、そういう理屈とは一切関係ないところで、「なんか嫌だな」と思ってしまうのは誤魔化しきれない事実だ。
 これは感情論だろう。分かっている。
 言い訳をさせてもらうと、これはおそらく嫉妬ではないのだ。そして誰も悪くない。強いて言うならおれの性格が悪い。冬眞くんが色々なことを取り繕って今の人物像を作り上げて、女性の先輩たちはそんな「よそ行き」の冬眞くんを優しい先輩だと言う。冬眞くんが本当は洋酒よりも日本酒とか焼酎とかのお酒を好むのだ、ということすら知りもしない人が、冬眞くんに好意を持つことに対するうっすらとした不快感。何も知らないくせに、という驕り。これが「なんか嫌だな」の正体だ。
 自己分析したはいいけれど、それで何かが解決するわけでもない。ただただおれの性格が悪いな……。ちょっと落ち込んだ。
 安来さんにはそんなこと思わないのにな、と一瞬だけ首を傾げて、それはきっと冬眞くんが安来さんに気を許しているのが分かるからだろう、とまた自分で納得した。要するに、女性に囲まれるというのが冬眞くんにとってストレスであることをおれは知っているから、今の状況が個人的に許せないのだと思う。

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