羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 こんなに間近で自分の身の丈よりも大きな動物と触れ合うのは初めてかもしれない。俺は、隣で分かりやすくはしゃいでいる大牙を微笑ましく思いつつ牧場を楽しんでいた。
 車で一時間ほど走ったところにある牧場は涼しくて過ごしやすい。休日だからか家族連れが多くて随分と賑わっていた。男ばかり六人で浮くかと思いきや、大学生らしき集団もいて案外大丈夫そうだ。この牧場には動物たちが放し飼いにされている屋外スペースと、チーズやソーセージ作りが体験できる屋内スペースがあって、今は動物と触れ合える時間だった。
 牛は黒くつやつやの毛並みをしていて、撫でるととても温かい。
「牛って瞳がとってもきれいだね。まつげも長いし」
 清水がのんびりとした口調でそう言って、大牙が「ほんとだ、綺麗」と楽しそうに同意する。かと思えばそいつはこちらに向き直って、
「佑護も睫毛長いからお揃いだね!」
 なんて元気よく言ってきた。褒められ……てるのか? 俺は。由良が呆れたように「なんで恋人を例える対象が牛だよ……」と小声で呟いているが、確かこいつも前に清水のことを「自宅のソファ」とかなんとか言ってた。やっぱりこの幼馴染二人はちょっと変だ。
 牧場を案内してくれている係の女の人が、「周囲の柵には、牛が出ていかないように微弱な電気を流していますのでお気を付けくださいね」とにこやかに話しかけてくる。こんな放し飼いで大丈夫なのかと思ったら、ちゃんとそういう仕組みが出来上がってるんだな。
 こんなとき、ほぼ初対面の相手とでも気兼ねなく会話しようとするのは由良か大牙だ。今日も、その係の人の言葉を受けて真っ先に反応したのは由良だった。
「電気! それ人間が触ったらやばいやつですか?」
「いえいえ、本当に弱い電流なので。でも触ったらちょっとぱちっとしますよ。試してみますか?」
「え、いいんすか」
 どうやら牧場の人が監督できる範囲でなら触ってみてもいいらしい。複数人で手を繋いで柵に触れると、電気が手を伝って流れていくのが分かるのだとか。促されるまま全員で手を繋いで、先頭にいた由良が係の人の示す部分に手を伸ばす。
「わっ」
 大牙が小さく声をあげるのと、右手からぱちっとした刺激が伝わってきたのとはほぼ同時だった。
「ほんとにぱちってしたね!」
 隣で素直に感動している大牙は可愛い。牛が俺たちのことを変なものを見る目で観察している……のは、まあ、気のせいだろう。そう思いたい。真っ黒な瞳は光を反射してきらきらしていた。
 その後は、牛の乳搾りをしたりちょっとだけ馬に乗せてもらったり、牧場でしかできないことをたくさんやった。牛の体温が思ったよりもずっと高くて驚いたことや、牛乳はかなり勢いよく出てくるんだな……と感心したこと、馬に乗るのは小柄な方が向いているという話を聞いていたから、俺が乗ってしまうのは馬に申し訳ないな……と思ったりしたこと、全部新鮮だった。
「動物ってあったかいんだなー。思ってたよりずっと体温高かった」
 隣でまるで独り言みたいに呟く大牙。もしかしてそれは誰に聞かせるでもない声だったのかもしれないけど、俺は本心からの「そうだな」を口にしてみる。
「――あ、佑護もそう思った? すごいよね、生きてるって感じして」
 すぐに笑顔で返してくれたそいつに同意のつもりで頷いて、俺は尻尾を揺らしながら歩いていく牛の背中をそっと撫でた。

 すっかり日も高くなり、そろそろお昼にするか……と意見がまとまりかけたとき。俺たちは微かな声を聞いた。
「……なんか声聞こえない?」
「うん、泣き声みたいな……? どこからだろ」
 大牙と清水がきょろきょろしているのを横目に耳を澄ます。牧場施設や放牧スペースからも少し外れた、ひと気のない方から聞こえてくる……気がする。万里もその方角を見ていたので、どうやら予想はそこまで的外れでもなさそうだ。
「んー……俺ちょっと見てくるわ。ひょっとしたら迷子かもだし……みんなはここで待ってて」
「バカ、一人で行くなって。お前に行かせると迷子が増えそうだから俺も行く」
「いや流石にこんなデカい目印あって迷わねーだろ! 失礼な奴だなお前は、ったく……」
 由良兄弟の軽い言い合いを経て、なんだかんだと結局全員でぞろぞろ行く羽目になった。まあ、人数いた方がいざというときにいいだろう。この面子、緊急時でも咄嗟に動ける奴がそこそこいるだろうし。
 声を追って心持ち小走りに進むと、おそらくまだ幼い子供が泣いているのだろう……と分かるくらいの距離感になる。子供ってこんな遠くまで歩けるのか。そう感心しつつ、普段あまり聞くことのない泣き声に焦りが募る。
「あっ、いた」
 その子を見つけたとき、真っ先に駆けていったのはゆきさんだった。やっぱり、由良と歳が離れているから小さい子供の相手も苦ではないのかもしれない。そこにいたのは予想通りまだ幼い子供――水色のワンピースを着た女の子だった。

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