羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 昼休み、さて飯でも買いに行くかと思って会社の外に出たら見知った顔を見つけた。そいつもオレに気付いたみたいで、ぺこりと頭を下げてくる。
「矢野さん、こんにちは」
「おー、こんにちは……えっと、潤くん? だよな。どしたの? 安来今日は確か外回りだけど」
 社内に掲示されているホワイトボードの予定表をぼんやり思い出しつつ喋ると、そいつはあからさまにしゅんとした。
 どうやら安来、弁当を忘れたまま出社したらしい。
 昼近くになってそのことに気付いたこいつが、慌てて家を飛び出してきたはいいものの携帯を忘れて連絡できず、かと言って取りに戻ると昼休みに間に合わず……で今に至る、のだそうだ。「携帯とか持ち歩く習慣なくて」とぽそぽそ言い訳するように語るそいつ。なるほど、そういうことならオレがらしくもなく人助けをする理由にもなるというものだ。
 スマホを取り出して、メッセージ……はまどろっこしいので電話をかけることにする。意外や意外、安来はすぐに電話に出た。
『どうした? 珍しいな』
「そうなんだよ。珍しいお客さんが来てるから」
 ざっくり事情を説明すると、安来は大げさなくらいにお礼を言ってきた。どうやら安来もたった今弁当がないことに気付いたらしい。取りに行くから、とのことだ。
『でも、昼休みが終わるくらいの時間にしか着けないんだよな……その後すぐ別んとこ行かねえとだし。悪いんだけどよ、お前潤から弁当預かっといてくんねえ? 俺のデスクに置いといてくれればいいから』
「は?」
『流石に一時間も待たせるのは駄目だろ? わざわざ潤来させちまってマジで反省したわ……朝ばたばたするとミスするなやっぱ』
 もし電話代われるなら謝りたいんだけど、とのんきに言っている安来に愕然とした。何言ってんだこいつデリカシーゼロか? わざわざ来たからこそ一時間程度なら待てるし、ここまで来たなら好きな奴一目見て帰りたいだろ!? 少なくともオレだったら弁当だけ回収されて帰るのは絶対嫌なんですけど!
 一時間待たせることよりもそっちのが断然駄目だろ。この状況で帰っていいとか言われてもショックでしかねえ……。
 気遣いから出た言葉なのは分かるが、なんかこう、ずれてるんだよな。オレがひねくれて考えすぎ?
 だがしかし、弁当を持って所在なさげにしているそいつに状況を手短に伝達してやるとあからさまに不本意ですという顔をしてみせたのでオレの予想は当たらずとも遠からず……といったところなのではないだろうか。認めたくないのだが、オレとこいつは思考回路が若干被っているのだ。だからこの後のこいつの行動も予想できた。
 電話を代わってやると、さっきまでの不満げな表情が嘘のように柔らかい声音で話し始める。何度か相槌を打って、「大丈夫だよ」「おれがやりたくてやったんだし」なんて言って、そして――「このまま待ってる」とは言えずにスマホをこちらに戻してくる。
 ――だよなあ。言えないよな。
 オレも同じ状況なら絶対言えない。
 自分のことを気遣って言ってくれたのが分かるから我儘言えないし、我儘言って困らせたくない、と思う。そのくせ、「じゃあ仕方ない」とも割り切れない。自分で自分が嫌になる。
 だからオレは、スマホに向かって宣言した。「おい、お前会社の下に着いたら連絡しろよ」と。
『え、なんでだ?』
「上までエレベーター使うの手間だろ。弁当は下で渡す。どうせオレ今日は外で飯食うし」
『マジか、めちゃくちゃ助かるわ。それなら一瞬路肩に停めるだけでいいしな』
 昼休み終わるまでには絶対着くから! とご機嫌で電話を切った安来に内心ため息をついて、オレは弁当をこちらに渡そうと待っているそいつへと声をかけた。
「なあ、アンタどうせ飯まだだろ。どっか食いに行こ」
「えっ」
「一時間とか店入ればすぐだよ」
 あいつのこと待ってたいんじゃねえの、と言うと、そいつは一瞬悩むようにしたけれど素直に頷いた。あーやっぱり。予想が当たってしまった。こんなとこ被らなくていいよ、マジで。
「でも、はるくんに悪いかも……」
「ん? あいつは器がデカいし人間ができてるから大丈夫だろ」
 そう、オレとは違って。オレとは違って……。
 なんだか無駄に落ち込みそうになったので、慌てて首を振って歩き出す。既に昼休みが始まって十分以上が経過していた。悪いが、すぐ入れてすぐ料理が出てくる店を独断で選ばせてもらうことにしよう。

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