羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 行祓から『今日の夕飯は楽しいやつだよ!』と連絡がきたので、一体どういうことだ……と思いながら帰宅すると、待ってましたと言わんばかりのそいつに出迎えられた。
「まゆみちゃんおかえり!」
「ただいま。悪い、ちょっと遅くなった」
「そう? 色々準備しながら待ってたから気にならなかったよ。すぐ夕飯にする?」
「ん……ありがとう」
 今日の夕飯は楽しいやつ。楽しいってどういうことだ? 気になったので控えめに尋ねてみると、「へへ、ではこちらへどうぞ!」と手を引かれた。急な接触に内心驚いてしまう。顔に出すのだけはどうにか堪えたが。手が熱い気がして、それがばれていないか緊張する。
 緊張をどうにか飲み込んで、連れられた先で真っ先に目に入ったのはつやつやに光る白米だった。
 テーブルの上には白米の他に、色とりどりの海鮮や玉子焼き、海苔が所狭しと並んでいる。行祓の言葉の意味がここでようやく理解できた。
「今日の夕飯は手巻き寿司です。一緒に作ろうね! おすすめはサーモンといくらの親子だよ」
 なるほど、これは確かに楽しそうだ。コートをかけて手洗いうがいを済ませて席につくと、行祓が海苔をこちらに差し出してくる。「酢飯はほんとにうすーく載せればいいと思う。具材はたっぷり用意したからたくさん食べて」アドバイス通りに酢飯は少なめ、具を多めにして巻いてみた。なんとも贅沢すぎる見た目をしていた。握り寿司で、シャリの倍以上ネタがあるやつ……あれ見たときと同じ感じ。
 ふと、さっきから俺の手元を覗き込んで嬉しそうにしていた行祓が、へらっと力の抜けた笑みを見せる。
「まゆみちゃんってさ……おすすめしたら素直にその通りに食べてくれるとこかわいいよね」
「は? え、な、何言ってんだお前……」
 やばい、めちゃくちゃどもってしまった。だってそんな……勧められたら普通に試してみようって思うだろ。流石に、納豆巻きを勧められたら遠慮したいけど……。
「おすすめしたものが受け入れてもらえると嬉しいなーって話。ありがとね」
「べ……つに、お礼言われるようなことじゃ……こっちこそ、教えてくれてありがとうだろ……」
「そういうとこが律儀! とっても素敵!」
「うるっせ。からかうな」
 気恥ずかしさを誤魔化すように寿司を口へと運ぶ。海苔がぱりっとしていて、やっぱりその場で巻いて食べるのは食感が違うなと感心した。行祓は前に恵方巻きを作って出してくれたことがあったが、自分で巻くのも新鮮だ。好きな具を選べるから、合法的に悪いこと――好き嫌いが許されるみたいな気がしてそれも少しわくわくする。
 横目に行祓の様子を見ると、とても真剣な表情できゅうり、玉子、まぐろを酢飯の上に並べているところだった。色合いがいいな。つい見つめていたら顔を上げたそいつと目が合って、あまりにもいい笑顔を向けられたのでこちらも思わず口元が綻んだ。
「おっ。いい笑顔ですねえ」
「なんだよ、お前もだろ」
「だって楽しいし。昔から好きだったなーこういうの。いかにも作ってる感があって。まゆみちゃんはどう?」
「ん……たこ焼きパーティー? とかは高校のときやった。でもああいうのって焼くの上手い奴が一人いて、そいつに任せがちになっちまうんだよな」
「確かにそれはあるかも……」
「あと、悪ノリして訳分かんねえ具を入れる奴がいる」
「ふむふむ。例えば?」
「え、チョコレートとか……?」
「上手くやれば美味しそうじゃない? こう……出汁で割らない生地を用意するみたいな。揚げドーナツっぽくなりそう」
「見た目で判別できねえから、ソースと青海苔とかつおぶし全部かけて食った後で気付くんだよ……」
「あー……」
 それはそれはおいたわしい、と神妙な表情で言う行祓がなんだか面白くてつい笑ってしまう。そんな俺を見たからなのかそれとも単純に自分の言ったことが自分で面白かったからなのか、行祓もへらりと笑った。
 それから二人して、ああでもないこうでもないと言いながら色々な具材を試した。途中で行祓が、「こうやったら一口ごとに味が変わって楽しいかも」と具を縦ではなく横向きに並べ始めた辺りは革命だったと思う。いつもより時間をかけて少しずつ食事をして、不思議といくらでも食べられそうな気持ちでいた――そんなときに行祓が声をあげる。
「そろそろ味が単調になってきた気がする……!」
「そうか?」
「こういう素材の味で勝負する系はどうしてもね。そんなわけで、おれはちょっとキッチンに失礼しますよ」
 今から何か作るんだろうか。なんとなく離れがたくて、でもそれを言葉にする方法も持てなくて、どうすればいいか迷う。相槌も打てない。
 そんな俺に、行祓は首を傾げる。
「もしかしてもうお腹いっぱい?」
「や、まだ大丈夫……だけど」
 俺一人だけここで待ってるのもなんだし……と歯切れ悪く伝える。すると、行祓はあっけらかんと言った。
「じゃあ何か手伝ってもらおっかな! たまにはいいよね、二人で一緒にキッチンに立つのも」
「何か……え、俺が手伝ってもいいのか」
「そりゃいいでしょ。当たり前だよ。むしろ手伝ってくれるなんてありがとう! って感じだし。確かにさ、一人で食卓に残されるのってその間食べ進めるべきか迷っちゃうよね」
 まゆみちゃんが手伝ってくれるなら食材も喜ぶよ、と冗談なんだか本気なんだかいまいち分からない表情で言ったそいつ。俺は内心でこっそり祈ることしかできなかった。「どうか俺にでもできる手伝いでありますように。行祓の邪魔をせずに済みますように」――と。

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